「同労者」第7号(2000年4月)      編集後記に進む    随想に戻る   目次に戻る

ショートコラムねだ

− あ  だ  な −

 本コラムは「やぶにらみ」を止め、着眼点を変え「ちょっと一言」で新規開店したら、デヴィ・ス
カルノ氏が同名の本を出版したという。えーい、面白くない。!!
 とりあえず本コラムを"ねだ"とした。話の"ネタ"、ではありせんぞ、"ネダ(濁音)"です。
 読者諸氏、本コラムに命名するよい名があったら教えて下され。



 学校の生徒が先生にあだなをつけるのがうまいのはよく知られている。
 学校に行く間の客会員ということで、ある教会からうちの教会にきておられた兄弟がいた。彼
は学校を終えると母教会に戻り、やはり学校の先生になった。しばらくして、会ったら、「おれの
あだなは何だと思う。」と言う。そして明かしてこういった。「ローベルト。」彼は、若くしてもう腹が
出っ張り、彼のベルトは腹の下の方に位置していた。
 家内の母がこんな話をしていた。うちの男(の子)どもは始末が悪くってネ、うちに帰って担任
の先生のことを、「たこ」、「たこ」と呼ぶ゙ので、わたしはてっきり「多古」先生だと思っていたの。
ある日用事があって学校に行って、「タコセンセイいらっしゃいますか?」と言ってしまったの。
そうしたら、応対に出た先生が、「はあ○○先生ですね。」と言ったの。それで、その瞬間「た
こ」はあだなだと分かって、顔から火がでる思いだったわヨ。
  "サユリスト"だの"コマキスト"などというのは、知っているだけでも古い人。"アムラー"などと
いう呼び名もあだなに属す。アムラーも今やヤングママが多いとか。代わって登場するは、"チ
ネラー"か?

 "クリスチャン"というのも、かつてはあだなであった。そして、"メソジスト"もそうである。私た
ちは、クリスチャンであることを誇りに思い、メソジストであることを誇りに思っているが。
 さて、イエスも弟子に自分であだなをつけたりされた。ヨハネはよっぽど短気であったに違い
ない。イエスから"雷の子"などというあだなをもらってしまった。
 私はそしてあなたは、どんなあだなを神様からもらうのでしょうかネ。



      編集後記に進む    随想に戻る   目次に戻る   表紙に戻る