「同労者」第8号(2000年5月)      教会通信に進む    随想に戻る   目次に戻る

ショートコラムねだ

− 慣  れ −

 よく"習うより慣れろ"と言われる。
 この諺に対してこんな反論もある。英語を3ヶ月特訓しただけで、TOEICを905点とったとい
う人が本を書いて、子どもは"習うより慣れろ"でよいが、大人になったら"慣れるより習え"と勧
めている。それも一理ある。(この本一冊全部立ち読みしてしまいました。ごめんなさい。)
 が、しかし、"慣れ(馴れ)"というものは、物事をすすめる上において、大変大切である。
 東京から仙台に、仕事のため数ヶ月間来ていた人がいた。その方は、休みになると、遠刈田
温泉、秋保温泉、鳴子温泉にでかけていた。そして、じっくりこけしを見てまわった。そして、こ
けしの愛好家になった。彼の言うには、「見慣れることです。沢山見ているうちに、こけしのひと
つひとつが、ちがう表情を持っていることが分かってきます。そして、それらの中に、気に入っ
たものがでてくるので、それを買うのです。」と。
 学生のとき、20人ほどの人たちと一緒に下宿をしていたことがあるが。その中に、顔面に、
顔半分ほどの大きさの紫あざのある人がいた。初対面のときはぎょっとした。しかし、いっしょ
に生活してしばらく経つと、全く気にならなくなった。それが彼でであって、しごく当たり前なので
ある。"あばたもえくぼ"というが、よい人柄だけが心に残る。
 かつて、ピカソだのマチスだのと、やたら変な絵を描く人々がいると思っていた。しかし、家内
の母が亡くなる少し前、家内の母と家内と私の三人で仙台市美術館に行った。するとクプカ展
という特集を行っていた。このクプカという人が、その変な絵(抽象画)の草分けなのだそうな。
そのときはじめて、じっくりとこの抽象画なるものを見た。そしてはじめて、この抽象画の持って
いる意味が理解できた。そして面白く感じた。それで、出張の際に時間に余裕があるとき、上
野の美術館で現代絵画の展示を見てきた。回を重ねるほどよく分かる。それまでは、そういう
ものがあるとは知っていたが、見ているようで見ていなかったのである。これは、まず習い、次
に慣れるということかも知れない。

 話は一足飛びに変わるが、ウェスレアンだのアルミニアンだのというカナ文字を見ただけでジ
ンマシンがでる人々は、見慣れることが大切である。
 アルミニアン・ウェスレアンの教えこそ、「天国への道を知りたい。」と切に願い、一書の人とし
て聖書を探求した人物を通して、あなた方を天国に導くために神が用意してくださった道なの
だから。狭くてこれを見いだすものが少ないけれども。



      教会通信に進む    随想に戻る   目次に戻る   表紙に戻る