「同労者」第9号(2000年6月)      教会通信に進む    随想に戻る   目次に戻る

ショートコラムねだ

− キュアリアス!! −

 私のいる部屋に中国人の研究者がいる。本国で博士号を取得した後、日本の文部省の招
聘で日本に来た人物であるが、まだ日本語が出来ず、日本慣れしていない。
 彼と子どもの話になった。彼の子どもは娘一人しかいない。それで奥さんに、もう一人生んで
くれというのだがどうしても承知してくれないのだという。中国は一人っ子政策をとっているの
で、中国にいれば政府が子どもを生むことを承認してくれないが、日本にいるのだからこっち
のもの、もっと子どもを持ちたいのだそうな。
 兄弟がいて、一緒に遊んだり、喧嘩をしたり、兄弟としての交流を持つことが上の娘のため
に非常に大切なことだ、と彼は承知していた。しかし、何度も奥さんを説得しているが、とてもだ
めだ、ともうあきらめていた。
 なぜ奥さんが生むと言わないかというと、彼女も研究者で、家事、育児だけでなく研究の成果
を出さなければならないのである。そのような中で、もう一人育てることはとても出来ないという
のだそうな。蛇足だが、彼女は、国に帰ると大学の助教授なのだそうである。
 その愛娘は今年幼稚園を卒園し、小学校に上がった。その卒園式の様子を、パソコンで画
像を出しながら話してくれた。
 その話の中で、彼はこう言っていた。「日本人は、なぜ卒園式で泣くのだろうか?園児も泣い
た。先生も泣いた。列席した父兄も泣いた。"curious(キュアリアス、奇妙)だ。"中国人は嬉し
いときには泣かない。園児にも喜ばしいこと、先生にも喜ばしいこと、父兄にも喜ばしいことで
はないか。」と。
 確かに、卒園する息子・娘たちに、
   …あんなこと
    こんなこと
    あったでしょう。…
と、歌われるといろいろ思い出して泣けてくるのが日本人である。
 同じようなことがもう一件あった。この3月末に研究室の助教授が東京の大学に招聘され教
授になる。その送別・祝賀会があった。その席で、本人も泣いた。その助教授を指導していた
先生(教授)も泣いた。そのすぐ下の助手も泣いた。「キュアリアスだ。先生は指導の完成の時
ではないか。本人は教授になれる、嬉しいときではないか。助手の人は、助教授の栄転で、自
分が助教授になれる嬉しいときではないか。中国人は嬉しいときには泣かない。」と。

 神の民は、この世の人々と同じであってよいものか? 救いは、この世の人々から"キュアリ
アスだ。"と思われる価値観や行動をクリスチャンにもたらす。そういうものが一つもなく、この
世の人々と全く同じ人は、自分の救いを見直すべし!!。




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