「同労者」第10号(2000年7月)                目次に戻る

巻頭言
− 親の責任と子供の自由 − 
仙台聖泉キリスト教会   齊藤 望

「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によっ
て平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。」(コロサイ1:19〜
20)

 長い間両親の責任の範囲の中にあった子供時代、自分のしたいことや願っていることのまま
ならないことが数多くありました。子供心に何を言っても反対される、話は聞いてくれるが自分
の思い通りにいかないそんな両親を持っていることを悔やみました。友達は許可されることが
自分には許されないそんなときに疎外感を感じ、そして自分はクリスチャンであることを認識し
ました。しかし、自分に自由がなかったわけではありませんでした、してはいけないこと、守らな
ければならないこと、するべきこと、このような枠がありましたがその中では自由に生きていま
した。この事を通して、約束の大切さ愛されることの条件をおぼえました。
さて、聖書の中での御子の取り扱いはどうでしょうか? 全能なる神の御子が、人の子として遣
わされた時、荒野で悪魔の試みを受けた時、十字架につけられることについて祈った時、キリ
ストが父なる神に従った姿を私たちは見ることです。またキリストは、弟子たちに次のように教
えられています。「だれでもわたしを愛する人は、私のことばを守ります。そうすれば、わたしの
父はその人を愛し、わたしたちはその人のところにきて、その人とともに住みます。わたしを愛
さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのもので
はなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」(ヨハネ14:23〜24)
キリストが弟子たちに語られたのと同様に、わたしたちも子供たちに対してことばを守ること教
えていかなければいけません。そのことが信仰の継承となり、また私たちが守らせるべきこと
ばを言う時に両親の姿を思い出すことです。
親の責任とは、子供の自由に出来る範囲をしっかりと見据えて枠をつくりその範囲を超えない
ように監督すること、その枠がどのような意味のあるものかを教えることだと思います。こども
にも親にもきつい枠ではありますが、その中で愛されるものとして成長し、またその信仰を継承
してもらいたいものです。
「あなたがたの指導者たちのいうことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明するもの
であってあなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜ん
でそのことをし、嘆いて為ることにならないようにしなさい。」(ヘブル13:17)
次の時代の教会を担って行く子供たちです、自由の枠の意味を理解し愛されるものとなってい
く様祈っています。
 


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