「同労者」第10号(2000年7月)
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「私の神、主よ。私はあなたのもとに(のみ)身を避けました。どうか追い迫るすべての者から 私を救って下さい。」(詩篇7:1)
この詩は主君サウル王の嫉みから追われる身となったダビデが苦しみの中から主なる神に
訴えた祈りです。ダビデはサウル王から嫌疑を掛けられるような陰謀は何一つしていなかった のに、サウル王はダビデに集まる人気を憎んでのものでした。幸運や人からの注目が集まる と、その人に向かって嫉みや敵視が起こりやすいのですね。人の倖わせを喜べない悲しい人 間の業を見させられます。
ダビデは権力者サウル王の追手が迫る中で「私の神、主よ。私はあなたのもとに(のみ)身を
避けました。」と、神のみを唯一つの避け所と告白しています。あなたのみです。あなたにもで はありません。「のみ」と「にも」とでは大きな違いがあります。「のみ」は正に「のみ」ですが「に も」では、数ある中であなた「にも」と緊迫度はまるで違ってきます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当た る、式のあまり期待していないけれども、まあ一つよろしくと言った程度の頼みです。もしあなた がそんな程度の言葉で何か頼まれたら真剣になれますか?
イエス様の許へ病気の息子のいやしを求めた父親が「もしお出来になるものなら、お助け下
さい。」と言った時、イエス様は「(失礼な。)出来るならと言うのか。」と鋭く問われました。慌て た父親は「(ごめんなさい。)主よ。信じます。あなたならお出来になります。」と平伏したのでし た。
私の母は手当たり次第、神社、お寺、お地蔵さん、お稲荷さんと手を合わせる人でした。教
養を誇るアテネ人もそうでした。日本でも相当知性のある人でも何にでも頭を下げ、手を合わ せる人がいかに多いでしょうか。頼まれる側に立って考えて見て下さい。「俺を馬鹿にするな。」 と言いたくなるでしょう。
私たちはダビデと共に「私はあなたのみ」と申し上げ、ペテロと共に「主よ。われら誰にゆか
ん。永遠の生命の言は汝にあり。」と告白して主にのみ心を傾ける者にさせて頂きたいもので す。 |