「同労者」第11号(2000年8月)                        目次に戻る

証 詞

仙台聖泉キリスト教会   森田 心

―― 2000年3月5日仙台聖泉キリスト教会の伝道会でされたお証詞です(編集委員) ――

「主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによ
って、あわれんでくださる。」(哀歌3:31〜32)

 私が救われましたのは、1984年4月23日です。冒頭の聖句は私が救われたときのみこと
ばです。
 現在私は、救われた後の年数が救われる前の年数に近くなりました。救われたのは19歳の
ときでした。それから17年が経ちましたが、年を追う毎に喜びが増します。
 神様との出会いの要点をまずお話しし、つぎに付随することをお話しさせて頂こうと思いま
す。
 私は両親がクリスチャンで、幼いときから教会に行っていました。一般に世の中の人々が、
学校に行くのが当たり前になっているように、教会に行くのが当たり前でした。
 中学、高校で、学校におけるクラブ活動をはじめました。それにつれて、日曜日、祭日をそれ
に費やすことが多くなり教会に行くことが減りました。教会の中では、若い人々の間では音楽
のことが活動や話題の中心になっていましたが、私はそちらにはあまり出ず、学校の部活をし
ました。
 高校3年が終わったら、部活をやめる約束でした。しかし、それが終わっても、コーチをやっ
ていました。それに、喫茶店でアルバイトをしたりしていました。
 あるとき、山本光明先生にこう言われました。
 「心君。僕との約束はどうしたのかね。」
それは、「部活を終わったら教会にきちんと行きます。」という約束でした。
 「ハア。」と言って帰ったのですが、それが心に残りました。自分が選ぶ大切なときでした。「も
う少し、勘弁して下さい。」とも言えました。しかし、これはとってはいけない(そう言ってはいけな
い)、と思いました。それで、部活のコーチとアルバイトを止めました。
 大きな変化というものはありませんでしたが、"自分が選んだのではなく、神が選ばせて下さ
ったのだなァ。"と思える大切な時でした。
 教会にまじめに出席するにつれて、整えられた面がありました。当時の私には、自分にとって
不満とか足らないとかということはありませんでした。教会には来ていたけれども、自分で神様
を求めるということは、あまりありませんでした。
 ある青年会のとき、"あなたには神様が必要ですか。"という問いが出されましたが、それに
明確に答えられませんでした。
"自分には…、周囲の人には…。"と考えた時、"信じないのか?"ということが自分に迫ってき
ました。
 一世クリスチャンたちの証詞は、「神様を信じて180度変わりました。」という表現でした。し
かし、自分にはそんな変化があるとは思えませんでした。教会の中で行われることには、適当
に合わせることができましたから。
 その後、頻繁に教会に行きました。食事時にもかまわずに。そういうことを続けていくうちに、
ある日、食事を終わってお茶を飲んでいるうちに、"もう、うやむやにはしていられません。"と
立って行き、先生の前で悔改めをしました。
 そして、その時"救いの経験"をしました。
 神様は私を取り扱ってくださいました。家庭がありました。神様の恵みがありました。自分は
変わらないと思っていたにもかかわらず、変えられることを経験させられました。その変化と
は、神様が与えておられる基準を受け入れることでした。自分が、まるっきり違ってしまうという
ことではありませんでした。何かをしようとするとき、やってよいか否かを問う者となりました。
 救われた後、人に謝罪しなければならない罪を思いだしました。万引きしたことなどがあり、
謝罪に行きました。

 "同じ仕事を10年やればベテラン。"と言われますが、信者を17年させて頂きました。この
2、3年特に示されていることがあります。今は両親が亡くなって6、7年になります。それで、
「これはいけないよ。」と言ってくれる人がいなくなりました。それが途絶えた時期がありました。
自分が、30歳台に入ったとき、"これでいいのだろうか。"と思いながらいた時期がありました。
礼拝のメッセージの中でその答えを少しずつ見いだすことができました。主牧のメッセ−ジは
なかなか分かりませんでした。それが分かるようになってきました。それと同時に、基準という
ものがないとおっかない、と思っていたことがありましたが、メッセージの中でそれ(いま自分が
守らなければならないクリスチャンとしての基準)がきちんと教えられていることが分かりまし
た。今までそれをとらえることができないできたわけですが、それをとらえることができるように
なりました。
 メッセージの内容を1週間考えます。義理の父と二人で長く話す機会があまりありませんが、
彼が海で事故に会った時から、「どうだい。元気かい。!」と言ってもらうことが増えました。そう
いう中で義父の信仰の姿勢を見せられて、遠藤の父のやっていきたいことを、継続させて頂き
たいと思います。パット見、かっこよくない。話もうまくない。おしゃれでもない。そういう父が、信
仰のゆえにすばらしい魅力です。
 義父は海の家での事故のあと、手術を受けたり肉体的にはいろいろ大変ですが、今も一所
懸命自分の事業の仕事をしています。普通のサラリーマンでしたら退職金を頂いて休みに入っ
ている年ですが、まだ働いています。その信仰の端を担わせて頂きたいと思います。
 2000年からスタートさせて頂いて、いつの日か実現できるようにと進めています。2月20日
の礼拝メッセージに語られたことばのひとつに、「この礼拝のメッセージに語られたことばを、ど
のように具体化し生かすかということが大切なのです。」とありました。聞いたことを感謝だと思
っても、生活が始まるとそれが消えてしまうということを思います。みことばを心にとどめて具体
的に生活に生かすことが大切なのだ、ということが心に残りました。それを生かして生きたいと
思います。


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