「同労者」第11号(2000年8月)                          目次に戻る

ショートコラムねだ

− i モード −

 仕事の上で必要な特集記事を読むためにトリガーという雑誌を買った。すると、その中に"な
ぜ「 i モードは若者必携ツールとなったのか」という記事があった。 i モードとは、'99年2月
に始まった携帯電話によるインターネット接続サービスなのであるが、契約者数は現時点で、
なんと約800万人に達しているという。そしてその加入者の年代は圧倒的に、10〜20代の若
者なのだそうである。かくいう編集子自らは、携帯も i モードも使っていないのではあるが。
携帯電話は情報の伝達機器である。この"情報"ということばは、もともとは事情、実情、情況
の報らせという意味であった。しかし漢字を分解しておのおのの持っている意味とり、"情"を感
情の伝達、"報"を事実の伝達と理解する人々が現れた。 このトリガーの記事の著者もその
受け取り方を採用してこういう。「…(若者達が、長々と電話をかけ続けるのは)お互いの意志
や感情の交流・交換自体が目的化されるようになってきた。つまり、何か伝えたいことがある
から電話をかけるというより、電話で会話すること自体が楽しみの対象となってくる。"用がある
"から電話するのではなく、"用がない"からこそ電話で話すというわけだ。そうでないと、若者達
があれほど、のべつまくなしに携帯電話で話している理由はつかめない。…」 i モードの携帯
電話では、eメールのやりとりや、ホームページの閲覧などの他に、肉声だけでなく、ヒット曲の
着信メロディーや、キャラクター、画像などを交換し合うこともできる。若者達の間で、"報"の伝
達道具であるよりも、"情"の伝達道具になったためにこのような圧倒的な支持を得たといのう
のが著者の見解である。
 クラブ活動などによるこの世の交わりに子供たちが捕らえられないよう、野球や音楽を教会
の中で行い、教会に育つ子供たちに、教会内にいられるよう心掛けられてきた。この情報通信
の世界によって又一つ、子供たちを虜にするものが出現していることを意味する。かつてはポ
ケベルであった。それがPHSか携帯電話になり、さらに i モードへと進んでいる。それが集
団の活動ではなく、きわめて個人的なものであるため、その対応は難しい。子供たちがこの世
の交わりに捕らえられる前に、野球などと同様に世の交わりに替えて提供するものがあるかと
考えさせられる。
 一方、情報伝達の手段としてそれは極めて有効な機器である。インターネットからの i モー
ドへの配信はあるがそれはスピーカーで道行く人々に呼びかけるのに似ている。"信仰は、頭
でするものではない、心でするものだ。"と言われる。頭に達するのは"報"が主体であり、心に
達するものには"情"が大きく作用する。福音を伝えたい者として、考えさせられる。福音のた
めに、若者達との間に i モードを利用する道は拓けぬものか。


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