「同労者」第12号(2000年9月)                            目次に戻る 

論  説
 ― 切 磋 琢 磨 を 求 め よ う ―

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」(箴言27:17)

 信徒会(仮称)のPRとその働きの端緒を拓くため「同労者」の発行をはじめてから、はや1年
になりました。
 連合総会の信徒部会が始められて、その部会のメンバーが本誌の編集委員になったわけで
すが、そこで語られたことは、総会にこのテーマが取り上げられた初めの意図は、信徒に交わ
りと働きの場を提供し、信徒の活性化をはかることであると理解いたしました。加えてその活性
化には方向性があって、それはあくまでも連合の目指す福音の働きに添ったものであり、各個
教会の働き人の意向とも合致していなければならないということでした。それらをまとめて表現
するものとして、私たちの働きを、主の働き人達の「同労者」を目指すこととしたのです。
 現在はその働きがまだこの「同労者」の発行にとどまっています。これまでやってきて感ずる
ことは、多数の方々の参画と、心を開いた討議が必要であることです。雑誌の形態をとってい
ますが、書物の類であって、どうしても一方通行となることが避けられません。しかも、書物は
読む人の感性、関心、許容量によって、理解されもし、心にとどまらず素通りされもし、あるい
はまったく読まれずにおかれたりもします。
 主は福音の働きを伝える手段として、弟子を育成されました。そして、その弟子達に後を委
ねてこう言われました。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子にしなさい。…彼らを
教えなさい。…」(マタイ28:19〜20)
 師弟の関係にあるとき、その師から弟子に伝えられる事柄に、弟子が好むと好まざるとに関
わらず取り組む事態がおきてきます。そこに書物では得られない人格的交流があります。人は
自分が得手なところ、関心の持てる事柄だけにとどまりがちなものですが、師弟関係で教えら
れるとき、そのからを破り、自分を向上させることができます。
 このような関係は、神が摂理のうちにおかれた様々な人間関係のうちにも形を変えて存在し
ます。夫婦にも親子にも、兄弟姉妹の間にも。
 冒頭に掲げたみことばは、それらの局面の中の兄弟姉妹の間にある「友」の関係について触
れています。"友によって磨かれる"ことができるというのです。当然それは牧師と信徒の間柄
とは違ったものが主であるとしてよいでしょう。そして、それは"弟子として教えよ。"という主の
ご命令の補完の働きをするに違いありません。
 「同労者」がそのような働きができることを願っています。それは、その出版の働きに皆さん
が如何に関わるかによって、成功も失敗もします。



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