「同労者」第12号(2000年9月)
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ます。「…私は心を尽くして主に感謝します。私はあなたを喜び誇ります。」(詩篇9:1〜2)
あなたは今、感謝の心を持っていますか。喜んでおられますか。本当に感謝する心がないと
言葉にも顔の表情にも、それは現れて来ません。役者と偽善者とは原語が同じと言われます。 役者、俳優は自分の本心と舞台の演技が正反対の事があります。結婚したばかりで熱々の人 気スターも、演技では悲劇の主人公を演ずる事もあります。そこで役者と偽善者は原語が同じ というわけです。
先程の詩篇の作者は、喜ぶだけでなく誇るとさえ言っています。信仰に心満たされている人
は、喜び感謝するだけでなく、誇りを感ずるものです。このような恵みの世界に喜び導かれたこ とに感謝を通り越して誇りたい気持ちだと言うわけです。クリスチャンの共通の喜び、感謝、誇 りは、お金が儲かったとか健康になったとか、新しい家を建てたからとか言うのではなく、神を 信じ聖書の教えに共鳴できる者になった信仰の喜びなのです。「主を喜ぶことは汝の力なり。」 とネヘミヤは言いました。
私も時々、ヘブル人への手紙11章に出てくる、数千年前の信仰者の告白や見知らぬ外国
の、しかも数百年も前に作られた賛美歌、また習慣も風俗も違うクリスチャンの信仰体験を本 で読んだりする時、不思議な感動と身ぶるいするような興奮を覚えることがあります。数千年 の距たりや生活環境が違うのに、そこに現れる魂の渇きと充足、心の悩みと喜びの共通点。 あゝ人は皆神より与えられた生命の核を持った共通の被造物なんだなあーそんな感動と畏れ を覚えるのです。
そして、弱く取柄のない自分がアブラハムやダビデ、また歴史を飾った信仰の大人物たちと
共通の世界が分かる者とさせられたことに誇りを感ずるのです。正にパウロのことばではあり ませんが、「我らこの宝を土の器にも有てり」と感謝することです。賛美歌のこの歌をお聞き下 さい。
「貧しくあれども喜び歌いて 住むやもめよ 何故このや家は平和に満つるや 語り告げよ
『イエスは我の凡てなれば、イエスは我の凡てなれば。』」 |