「同労者」第13号(2000年10月)                         目次に戻る 

読者の広場(2)

   <お便り>
エルサレムを歩く(1)
2000年の夏

中京聖泉キリスト教会  山田 義


・世界大会で見つけた本
 人との出会いの他に本との出会いはその情景を印象的なものにする。
 キリスト生誕2000年の世界エスペラント大会は今年はイスラエルで開かれ、私はシマ子ととも
に参加した。4年ほど前に初めてこの国に来たときはダビデのエルサレム建都3000年と言わ
れていた。まず、今年テルアビブのホテルで開かれたエスペラント大会で見付けた本を紹介し
たい。
 「書籍販売」という名の区切られた部屋に入ると数か所に会議室用テーブルが並んでおり、
そこに本が置いてある。初めてそこへ入ったとき、すぐに若い女性がなにやらエスペラントで私
に事務的に話して来た、私の肩掛けのカバンを指して。何のことか意味が分からない。ともか
く、こちらへ来てくれと手招きされ入り口まで戻ると、私のカバンに番号札を縛り付け、もう一つ
の札を私に手渡した。万引き予防のための処置だとわかり、カバンをそこへ預けてもう一度中
へ入った。彼女のエスペラントが下手だとか、若い女性から突然話しかけられ当惑したからと
いう問題ではなく、日本語で話したとしても番号札を渡されるまでその意味を私は理解しなかっ
ただろう。万引きの予防の措置に参加したのは初めてである。本の好きなエスペランティストは
多いことは知っているが、売っている本を払わずして持ち出す人がいることは考えたこともなか
ったから。読みたいからなのか故買で利益を得たいのか。借りた本を返さないことはよく聞く
が、本の代金を払わないでカバンに入れたまま帰って行く人がいるのだろうか。
 真ん中にエスペラント訳の旧新約聖書がたくさん積んである。旧約は、この国際語エスペラン
トを提唱したユダヤ人ザメンホフが翻訳したものだ。新約は委員会訳であり、ロンドンにあるイ
ギリス聖書協会の発行である。私はこの翻訳により日々聖書の理解が助けられている。何十
年も前の婚約の式では私たちはお互いにこの聖書にサインして婚約のあかしを交換したもの
だ。
 小さな賛美歌集もあり、買った。ドルでの支払いはできない、他に買いたいものもあったの
で、ホテルのフロントでシェケルに両替してから再入場した。今度は、自分からカバンを入り口
で預けて。古本のコーナーもあり、古い昔の豪華本も置いてある。私にはその価値が分からな
いが、もしここに名古屋エスペラントセンターの本好きの何人かがいたらその由来や興味を聞
けただろう。荷物にもなるから日本で注文できそうなものはここでは買うのを止めた。
 何冊かを選んだが、イスラエルに来たのだから、この国で発行されたエスペラントの本を少な
くとも1冊は買って帰りたい。ながめていると、ピアノの絵が表紙になった薄い本が目に入った。
絵は、豪華な彫り物をしたアプライトピアノである。本の名前は LA SENMORTA PIANO 「不滅
のピアノ」という。ピアノの調律師である私にとって、エスペラントで書いたピアノの本とあればそ
れだけで興味深い。10シェケルだったと思う。1992年、テルアビブにあるイスラエル・エスペラン
ト学会の発行である。
 このピアノの絵に見覚えがある。「奇跡のピアノ」という題名の日本語訳の本を思い出した。
その本を家に私は持っているが、その英語の原作は The SIENA PIANOFORTE 「シエナのピ
アノフォルテ」 という。テルアビブに住むピアノ技術者調律師のアブネル・カルミとハンナ・カル
ミの夫妻が著したものだ。カミルが祖父からその存在を聞かされていた、ダビデのハープの音
を持つ豪華ピアノはシエナで作られ、イタリアの王家に贈られたピアノだ。後になってそれが奇
跡的に自分の手に入りそれを復元する。夫人は夫の仕事の傍らにいた。このユダヤ人一家と
このピアに関する物語である。
 このイスラエル発行のエスペラント版は、原作よりもコンパクトだ。妻のハンナ・カルミが夫の
死後エスペラントを独学し原作をエスペラントで要約したもの。活字は1992年当時のワープロ
印字機で打ち出したギザギザ文字で印刷してある。たしかに、見栄えのしない本である。
 家に帰ってから、大会の記念にこんな本を買ってきたよ、とシマ子に見せた。シマ子がその
本の前書きに、知っている人の名前を見付けた。この本の発行に協力した人々の中にJosi
Sxemer ヨシ・シェメル (Israelo) という名前がある。妻は、2年前のモンペリエ大会に出たとき、
その閉会後のバスによる南フランスからパリまで一週間の観光旅行に参加した。旅行中、イス
ラエル人二人と知り合った。一人は、今回このテルアビブでも抱き合って再会を喜んだ女性エ
ルビラさん、もう一人が銀行の仕事をしているという人で、人々をいつも楽しませてくれるシェメ
ルさんだ。今回も忙しい大会運営中、エルビラさんがシェメルさんを大声で「ヨシー!」と呼んで
いたのを妻は知っている。
 この小さな本に親しみを持ったシマ子は読み始めた。このエスペラントは文章が込み入って
おらず単純でわたしにもわかりやすい、と言いながら「感動だ!」を連発し、めがねをかけて読
み進んでいく。私は以前、私の父からもらい受けた古いピアノを家でシマ子や子どもたちのい
るところで数か月かけて修理したことがある。そのピアノは、この本に出てくるような楽器では
ないが、我が家でただ一つの魅力的な楽器だ。シマ子は、あの作業のときピアノと寝起きを共
にしたことをまだ忘れてはいない。だから、この本のおもしろさは格別であったろう。それに、エ
スペラントで読んで理解できるという快感に感動しているようでもあった。読み終わると、こんど
は原作の日本語訳を私に持ってこさせて大急ぎで読み終えた。2度に渡る世界大戦に繰り広
げるユダヤ人家族の物語をとおして、シマ子は再認識した、世界中に離散した多くのユダヤ人
たちが苦難の中を歩んだのも、また、パレスチナにイスラエルという国が建国されたのも歴史
であることを。
 私は、いつか読めばいいやと思って大会の書籍売り場で手に入れたこの "Senmorta Piano
" を、「いつか」ではなく、すぐに読んでみることになった。一つ気になったのは、主人公カルミ
の父親の名前の綴りが、Avraham であったり Abraham だったりする。David をダビデ(dabide)
と書くのに慣れている我々日本人ならともかく、アブラハム (Abraham) という大切な名前を、な
ぜこの本の中で Avraham という綴りをそのままにしているのだろう。キーボードで隣り合わせ
ているvとbを打ち間違えたという単純な理由なのだろうか。
 読み終わったころ、シマ子は残念がって言った、「テルアビブにいる間にこの本を知っていれ
ば、この『ダビデのハープ』といわれるピアノを見に行くことができたのに…」と。確かに、この本
の最初のページの発行者のことばに、「このピアノに興味があればお見せできます。発行者に
言ってください」と書いてある。あそこにいる間にこの一句に気づいていればシマ子はシェメル
さんとエルビラさんをつかまえてピアノの所在地を聞き出し、私を引っ張って行ったに違いな
い。
 私も、死ぬ前にこの La senmorta piano 不滅のピアノ を見たいしその音を聴いてみたい、と
思い始めた。これで大好きなイスラエルに三度出かける口実ができた。
(つづく)

 
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