「同労者」第13号(2000年10月)                          目次に戻る

ショートコラムねだ

− "ヤッタ!"と言われたい −

 9月15日に仙台教会で、茂永進兄と和子姉の結婚式があった。
 結婚することが許されて、新らしい家庭を持つ兄姉が起こされるたびに思い出す一事があ
る。某教会の兄弟が牧師から「こういう姉妹と結婚の話があるのですが・・」と持ち出されたとた
んに、「ヤッタ!」と言ったという、その事である。それを聞き知った娘さん達の口から、「わたし
もヤッタと言われたいワ。」ということばが漏れたとか。
 だいたい私が知っているくらいであるから、その青年のいた教会では語り草になったことであ
ろう。しかしいつしか忘れられていたであろうが、いままた「同労者」を通じて、"こんなことがあ
ったぞーっ"とラッパを吹き鳴らしても、もう時効でおとがめあるまい。
 茂永兄は聖泉連合以外の教会から伴侶を迎え入れることとなったが、連合の中では、サマ
ーキャンプやJSFの活動で、青年男女、お互いにどこの教会にはどんな方がいると知ってい
る。
 JSFセミナーの人気投票の話は公然の秘密のようだ。しかし、どんな人物に人気が集まるの
か、若者達の目が確かであるか気になる。
 教会で結婚の話になると、よく引き合いに出されるのは、イサクとリベカの結婚であるが、リ
ベカはこんなテストをされたのである。リベカの求められたものは・・見知らぬ旅人に水を飲ま
せて下さいと言われたら、その人だけでなく、10頭いたその人のらくだにも水を飲ませて上げ
る。・・ということだった。今時の娘さん達にこういうことを求めたら、果たしてこのテストにパスす
る人がいるだろうか?
 自分もその例に漏れはしなかったが、若いときには容姿がまず気になるものだ。しかし、顔
立ちよりも、こういう心を持つことこそ「ヤッタ」といわれるに相応しいことは言うまでもない。
 知恵者の書、箴言にこんなことが書いてある。「美しいが、たしなみのない女は、金の輪が豚
の鼻にあるようだ。」(11:22)
またこうも書いてある。「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめた
たえられる。」(31:30)ペテロはこう言う。「…妻たちよ。…あなたがたは、髪を編んだり、金の飾
りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ柔和で穏やかな霊という朽ちる
ことのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りとしなさい。これこそ、神の御前に価値の
あるものです。」(ペテロT3:1〜4)
 青年諸君。君は何を見て、「ヤッタ」というかね。
 ついでに、もうひとつ。以上はすべて女に対してだけでなく、男にも当てはまりますぞ。
 
 


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