「同労者」第13号(2000年10月)                         目次に戻る 

聖書研究

仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1999. 11.30 から
ローマ人への手紙(第13回)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


 「私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいて
いるからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊
によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。」(ローマ15:15〜16)


前回は、結実の教理に関する考察をし、以下の項目について学びました。
・品性と結実の関係について
・教会と結実の関係について
・信仰の課題と結実の関係について
・摂理を信じて光に歩むこと
・聖潔と結実の関係について



 今回もまた、前回の学びの結びのことばの一部をもう一度述べます。
「成長とは結実の積み重ねによって、人格がよりよい品性を与えられたものに変えられていくこ
とを言います。光の中を歩むと結実し、成長することができます。光とは別に結実し、成長する
ことは期待できません。人が罪を持っていると、最初にその罪に対して光が与えられます。で
すから、潔めを与えられるまでは、潔めに至ることが唯一の成長です。潔めを与えられると、
結実と成長の範囲や奥深さなどが格段と広がり、神の国の豊かさをそこに見ることができま
す。」


5.結語(結びと個人への挨拶)(ローマ15:14 〜16:27)
 この部分は以下の項目に段落を区切ることができます。
・結び(ローマ15:14〜33)
・個人への挨拶(16:1〜23)
・祝祷(16:25〜27)

5.1結び(ローマ15:14〜33)
 結実の教理の解説を学んだ時と同様に、パウロがどのように考えたのであるか、その思考
の流れを追い、次に着目点の考察をしてみましょう。

5.1.1パウロの思考の流れ
 ・ローマの人々への信任
「…あなた方が…互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」(ローマ15:14)
パウロはローマの人々に、この手紙の内容を実行してくれることを期待し、そう確信していると
述べました。
・手紙はそのための手段であったこと
「ところどころ大胆に書いたのは、あなたがたもう一度思い起こしてもらうためでした。」(ローマ15:
15)パウロが自分は大胆に書いたと思ったのはどの箇所であったのかと思って、読み返してみ
ましたがこれというものが見つかりませんでした。
翻訳の問題かと考えて詳訳聖書を参考に開きますと、「遠慮なく書いた」とありました。"自分が
信じていることを遠慮なく書いた"ととれば意味が通じます。
・パウロの役割
「私は神の福音をもって、祭司の役目を果たしています。」(ローマ15:16a)…それは福音の祭司、
新約の祭司でした。
・祭司の役割をつとめている目的
「…異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、…供え物とするため」(15:16b)    これは目
的(結果)であって"祭司の役割"ではなく、"祭司を勤めている理由"です。
・その故の誇り
「それで、神に仕えることに関して、私は…誇りを持っているのです。」(15:17)
・キリストがパウロのうちにあってなされた業
「私は、キリストが…、この私を用いて成し遂げて下さったこと以外に、何かを話そうなどとはし
ません。キリストは、ことばと行いにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御
霊の力により、それを成し遂げてくださいました。その結果、…キリストの福音をくまなく伝えま
した。」(15:18〜19)
後半は、キリストが行った。と書いてありますが、文脈からいって、"キリストは、パウロの内に
居られて、これを行われた。"と言っているのです。
・新しい地への宣教の望み
「…私は、…キリストの御名がまだ語られていないところに福音を宣べ伝えることを切に求めた
のです。…もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、(福音はもう伝えられましたか
ら、御名がまだ語られていない所はないので)…イスパニヤに行くばあい、…」(15:20〜24)パウ
ロの心は遠く、イベリヤ半島に福音を宣べに行くことに傾いていました。
・エルサレムによっていく理由
「ですが、今は、…エルサレムへ行こうとしています。…マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサ
レムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。…それで、私は…
この実を確かに渡してから…」(15:25〜29)パウロがエルサレムに行く理由は、マケドニヤとアカ
ヤの信者達の献金を持っていくためでした。そしてそのことに注釈を加え、"異邦人は、ユダヤ
人がもたらした、霊的なことに与ったのだから、物質的なものをもって返礼するのは当然"だと
しています。
・祈りの求め
「兄弟達。…切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。」(15:
30〜32)パウロは、神は祈りを聞いて求めるものを与えて下さると信じていました。ですから、
一緒に祈ってくれるように依頼したのです。
・ローマの人々への祝福の祈り
「どうか、平和の神が、あばたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。」(15:33)締
めくくりは、"平和の神"でした。神の姿はその名によって示されます。父なる神(ローマ1:7)、愛の
神、義なる神、聖なる神、忍耐と励ましの神(15:5)、望みの神(15:13)などが、これまでに挙げら
れていました。

5.1.2着目点とその考察
 この箇所では、以下の項目に着目し、その内容を考察します。
@新約の祭司(15:16a)
A聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物(15:16)
Bキリストは、ことばと行いにより、…成し遂げて。(15:18)

@新約の祭司
 パウロは、「私は神の福音をもって、祭司の役目を果たしています。」(15:16a)
と述べて、旧約のアロンの子孫からなる祭司とは別の祭司職があることを示しています。これ
はまた、キリストに帰されている、メルキゼデクの位の祭司職(ヘブル6:20)とも違うものです。
 しかし、新約の祭司は、パウロひとりではなく、救われたすべての信者がそれであることが聖
書の他の箇所に示されています。「あなたがたは…聖なる祭司」(ペテロT2:5)、「あなたがたは
…王である祭司」(ペテロT2:9)、「私たちを王とし、…祭司として」(黙示1:6)、ルターはこれを"万
人祭司"(あるいは"各人祭司")と呼び、人間の手による任職に依存しているカトリックの司祭
制度に反対しました。
 祭司とは、神と人との仲立ちに位置するものであって、本来イエス・キリストの職務を示すも
のです。信者はイエス・キリストの職務の一部を、キリストに代わって行うのです。そこに、キリ
ストの苦しみの欠けたところを満たす(コロサイ1:24)働きがあります。新約の祭司とはどのようなも
のか、その雛形である旧約の祭司の職務を考えてみましょう。出エジプト記28章から30章に
かけて祭司の規定が書いてあります。その規定の着目すべき以下の項目について考察してみ
ます。
・任命と聖別
・栄光と美を表す装束
・任職の方法
・祭司の幕屋に於ける務め

・任命と聖別
 「アロンとその子…を、…祭司としてわたしに仕えさせよ。…彼を聖別し、わたしのために祭
司の務めをさせるためである。」(出エジプト28:1、3)
 祭司の職に就くのに先だって、神の任命と聖別がありました。
・栄光と美を表す装束
 「…アロンのために、栄光と美をあらわす装束をつくれ。」(出エジプト28:2)
 祭司の装束は、神の前における祭司の地位と職務を示しています。
 祭司の地位には、栄光と美が認められます。
 祭司の装束には、次のようなものがありました。「胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、
かぶり物、飾り帯。」(出エジプト28:4) 詳細な説明は出来ませんが、エポデには、両肩につける
二つの肩当てがあり、その両方に"しまめのう(石の名)"の玉が取り付けられ、その玉に各々
イスラエルの6部族の名前が彫り込まれていました。「二つのしまめのうを取ったなら、その上
にイスラエルの子らの名を刻む。その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石
に刻む。…その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロ
ンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。」(出エジプト28:9〜12)
 胸当ては、「さばきの胸当て」(出エジプト28:15)と呼ばれています。この胸当てには、12個の宝
石が取り付けられ、その各々に、イスラエルの1部族の名が彫られていました。そして、「アロ
ンが聖所にはいるときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子ら名をその胸の上に載せ、
絶えず主の前に記念としなければならない。」(出エジプト28:29)のです。このさばきの胸当てに
は袋があって、その中にウリムとトンミムと呼ばれる石が入っていました。それによって、神の
御心を確かめたのです。
 また、青服の裾には、金の鈴とより糸でつくったざくろが交互に取り付けられました。彼(祭
司)が聖所に出入りするとき、その鈴の音を聞くことによって、「死なないため」(出エジプト28:35)
でした。その意味は、恐らく自らと民の罪の自覚と神の前に立つことを思い出すことにあったも
のと思われます。
「また純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫り、これを青ひもに
つけ、それをかぶりもの(ターバン)につける。…これがアロンの額にあるなら、アロンは、イス
ラエル人が聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。
これは、それらの物が主の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければな
らない。」(出エジプト28:36〜38) アロンの額にある"主への聖なるもの"と書かれた札の意味が
ここに示されています。彼はイスラエルの全てのささげ物にまつわる咎を負って主の前にでる
のです。その故に、ささげ物を潔い物として神が受け入れて下さることを示しています。
・任職の方法
「…彼らを祭司としてわたしに仕えるように聖別するため、…若い雄牛一頭、傷のない雄羊二
頭を取れ。種を入れないパンと、油を混ぜた種を入れない輪形のパンと、油を塗った種を入れ
ないせんべいとを取れ。…そそぎの油をとって、…」(出エジプト29:1、2、7) 祭司の任職には、水
と血と油(参考:ヨハネT5:6〜8)が用いられました。詳細な手順の解説は省略しますが、三頭の
犠牲のけものは、罪のために一頭(出エジプト29:14)、潔めのために(全焼のいけにえ、なだめ
のかおりとして)一頭(出エジプト29:18)、任職のために一頭(出エジプト29:22)でした。祭司となる者
は、水で体を洗い、祭司の装束を身につけ、任職のための油を頭に注がれました。次に、罪
のための犠牲の頭に手をおいてからほふり、その血を祭壇の角に塗り、さらに祭壇の土台に
注ぎました。これは、罪の赦しを象徴します。潔めのための犠牲は、その血を祭壇の周りに注
ぎ、体は全部焼いて煙にしました。これは「主への火によるささげ物」(出エジプト29:18)であって、
火による(聖霊による)潔めを象徴します。
 任職の犠牲の血は祭司となる者の右の耳たぶと右手の親指と右足の親指につけ、残りを祭
壇の周りに注ぎ振りかけました。これは、聞くこと、行うこと、歩むことにおいて潔められること
(己に死ぬこと)を意味します。またその血とそそぎの油を祭司となる者および祭司の装束に振
りかけました。それによって、彼らと任務全体が「聖なるものとなる」(出エジプト29:21)のです。こ
のあとに、任職の奉献物の献げ方が記されています。こうして祭司は民を代表し、「その所で
わたしはイスラエル人に会う。」(出エジプト29:43)と言われる神にお会いすることができるので
す。
・祭司の幕屋に於ける務め
「…香をたくために壇を作る。…あかしの箱の上の『贖いのふた』の手前に置く。…アロンはそ
の上でかおりの高い香をたく。朝ごとに…煙の香を立ち上らせなければならない。…夕暮れに
も、…煙を立ち上らせなければならない。(出エジプト30:1〜8)祭司の仕事のはじめは、香を焚く
ことでした。
「アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いを
する。」(出エジプト30:10)「第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、
血を携えずにはいるようなことはありません。その血は自分のために、また、民が知らずに犯
した罪のためにささげるものです。」(ヘブル9:7)
 これらの他、「…パンを…主の前に供え…」(出エジプト40:23)ること、「…燭台を置いた。…主
の前にともしび皿を上げた。」(出エジプト40:24〜25)燭台に灯火をともしておくこと、「全焼のいけ
にえと穀物のささげ物とをささげ」(出エジプト40:29)ることがありました。また、民がささげる「全焼
のいけにえ」(レビ1:3)、「穀物のささげもの」(レビ2:1)、「和解のいけにえ」(レビ3:1)、「罪のためのい
けにえ」(レビ4:3、14、24、29)、「罪過のためのいけにえ」(レビ5:19、7:1、7:7)などの儀式を執り行
いました。民は、ささげる理由である「罪を告白して」(レビ4:27)ささげものを捧げましたが、その
告白を聞く人も祭司でした。年三度の祭り(礼拝、聖会)すなわち「過越」「五旬節」「借り庵」と
「贖罪の日」(レビ23:1〜44)を執り行うのも祭司でした。さらに、祭司は神の律法を教える役目も
果たしていたと考えられます。
 これらの祭司の聖別と任命、任職の方法、務め内容の一つ一つが、新約の祭司の職務を象
徴しています。救いの恵みに与った私達は、「教会の関係」において、神によって、誰かのため
に祭司の役目を務めるよう任命されます。そのための聖別があります。その職務には、栄光と
美があります。
 私達は、委ねられた者の名を覚えてその荷を負わなければなりません。
 委ねられた者の名を絶えず心に留め、心の痛みとし、神に覚えて頂かなければなりません。
神のことばと御心を示す働きをしなければなりません。
 また、額に主への聖なるものとの徽章があるもののように、自らと委ねられたものの全てのさ
さげ物にまつわる咎を負って主の前にでることをしなければなりません。
 祭司の任職の方法は、私達が主の血潮の力と聖霊の働きによって、罪赦され、潔くされ、使
命を与えられる内容を示しています。
 新約の祭司も、旧約の祭司が儀式を執り行って、人々が神の前に出、罪を赦されたり、潔め
に与ったり、感謝の供え物が受け入れられたりしたように、使命の中では神との仲立ち者を務
めるのです。その任務の光栄はどんなに大きいことでしょうか。
「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではな
く、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあ
なたがたのうちに働いているのです。」(テサロニケT2:13)
 神は祈っているときだけの神ではなく、昼夜を分かたずその目が人間の上にあるように、す
べてのことの神であられます。同様に祭司の働きも、神に祈るだけでなく、教会の関係にある
人とのすべての関わりの中にあります。
 ひとりの人物の成長を考えて見るならば、子どものときには両親の訓育があります。次ぎにC
S教師の手や、教会の年長者の手が加わり、更に牧師の指導の中に入って行くことでしょう。
神ご自身の導きは人間の導きと重なっているので(同時進行している)すが、やがて神ご自身
の導きがその人の主たる導きとなるよう期待されます(ヘブル12:4〜13)。そこに至る過程におけ
る人間の働きが"祭司の働き"であって、その人物と荷を一緒に担うのです。殊に子どもの時
の訓育が大切であって、その人が神の権威に服して生きることができるか否かを決定づける
ものですから、私たちの大切な課題となっています。主にあって、子どもを訓育するとき親は神
の権威の代務者なのであって、新約の祭司そのものです。
 同様に、私たちが当面する課題は、ほとんどすべて誰か他の人との間にあります。ですか
ら、その課題を私たちの側と相手の側から、ちょうど紙の裏表のように一方だけでは存在し得
ない関係として持っています。そこに神の任命があり、新約の祭司としての働き場があります。
 着目点の残り、A、Bは次回にいたします。

<今回の学びの結び>
 ローマ人への手紙の書き始めの段落においてもそうでしたが、結びにおいてもパウロは自分
の職務のすばらしさを認識し、その職務の遂行に情熱を注ぎ続けている姿を見せています。
「そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)父の愛、「十字架の死にまで
従われた」(ピリピ2:8)御子の愛、「言いようのない深いうめきによって、私たちのためにとりなし」
(ローマ8:26)てくださる聖霊の愛を、未だ福音を知らない人々に告げ知らせることが彼の誇りでし
た。
 新約の祭司の務めは、また私達に課せられている課題です。私達が光に忠実に従って生き
るなら、神はその任務を明らかにし、私達を潔め、その任に耐えうるものとして下さると信じま
す。
 「ですから、私の愛する兄弟達よ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みな
さい。あなたがたは自分達の労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(コ
リントT15:58)
 

 

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