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讃美歌を愛唱歌にできることは幸いです。私たちの信仰経験は、私たちの好む歌を作り出しま
す。罪を深く悔い改め、赦しの素晴らしさを味わった人は「いかなるめぐみぞ」(インマヌエル讃美歌 257)のような罪と赦しの歌を好むでしょう。十字架の素晴らしさを見いだした人は「イエスよ十字 架に」(同580)のような十字架の歌を好んで歌うでしょう。キリストの愛の素晴らしさを見いだした 人は「たまものよりいやしより」(同343)、「キリストには代えられません」(聖歌521)とキリスト への愛の歌を歌うでしょう。聖霊と深く交わった人は「みたまなる聖き神」(インマヌエル讃美歌43)と聖 霊の歌を歌うでしょう。導きに感じて「いかなるところにわれゆくとも」(同544)、霊の戦いに「さ かえをすてて」(同659)、天国の希望に「我が罪のために」(同668)とそれぞれの場に相応しく讃美 することでしょう。
どの讃美を好むかは、讃美のことばが現代語・口語であるか、文語であるか、また曲の如何より
も福音経験によるのです。素晴らしい讃美が生まれる土壌は、福音経験以外のなにものでもありま せん。そして、讃美がまた素晴らしい福音経験を生むのであると思います。
さらに言えることは、どんな素晴らしい録音の歌よりも、肉声で歌う生の讃美がいいということ
です。同様に、借り物の詩より自分たちの生の讃美歌が素晴らしいのです。
皆さんの作詞された讃美歌の投稿をお待ちします。(編集委員)
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