「同労者」第14号(2000年11月)                          目次に戻る

信仰良書

 − 神 へ の 道  (7) −
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳


チャーリー・ロスの誘拐
 黙示録1章5節の中に「我等を愛し、そして洗いきよめ給う主(英欽定訳)」という私の深い思
いのある聖句があります。もしかするとこう思われるかもしれません、"神はまず私達を洗いき
よめ、それから愛される、"と。しかし、そうではありません。神はまず"愛される"のです。数年
前、チャーリー・ロスという4才の子が誘拐された事件で国中が大騒ぎしました。馬車に乗った
二人組の男がチャーリーとその兄にキャンディーはいらないかと声をかけ、そして兄の方を残
して弟だけを連れ去ったのです。何年もの間、あらゆる州と地域で捜索がなされました。さらに
イギリス、フランス、ドイツにも渡り、捜索は続けられましたが、その甲斐はありませんでした。
しかしチャーリーの母親は、この長く失われている息子にもう一度会う希望を失わずにいます。
私の記憶の中で、これほど国中が激しく揺れ動いた出来事は、他にはガーフィールド大統領の
暗殺ぐらいです。
 さて、そのチャーリーのお母さんが、ある集会に座っていたと想像してみてください。そして説
教者が話している時、彼女がふと聴衆席に目をやると、その中に長く失われていた彼女の息
子を見つけたとします。その子はみすぼらしく、汚れたぼろぼろの服を着、靴も上着も身に着
けていません。母親はどうするでしょうか。彼が体を洗って、きちんとした身なりになるまでは、
自分の子と認めないというようなことがあるでしょうか。いいえ。彼女はすぐに席を立って子供
に駆け寄り、その子を腕に抱くでしょう。その後で体を洗ってやり、服を着せるでしょう。
 神も同様です。神は私達を愛し、そして洗いきよめてくださるのです。ある人はこう言うでしょ
う。「もし神が私を愛しておられるなら、なぜ私を強いて良い人間にならせないのか。」神が御
国へ入れなさりたいのは、息子や娘なのです。ロボットや奴隷ではありません。神は、私達の
頑なな心を砕くことはお出来になります。しかし、神は私達を、愛の絆をもってご自身のところ
へ引き寄せたいのです。
 神は、あなたを洗いきよめ、雪よりも白くし、子羊の婚姻の宴の席に共に座ることを望んでお
られます。また、彼方の喜びに満ちあふれた世界で、水晶の道をあなたと共に歩くことを望ん
でおられます。あなたを神の家族の一員として迎え入れ、天国の息子また娘としたいと願って
おられます。あなたは神の愛を足の下に踏みつけますか。それとも今この時、あなた自身を神
の御手に委ねますか。



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