「同労者」第15号(2000年12月)                         目次に戻る 

読者の広場(2)

   <お便り>
エルサレムを歩く(3)
2000年の夏

中京聖泉キリスト教会  山田 義


・もう一つの遠足 鍾乳洞
 バプテスマのヨハネの育ったという村に今に教会が建っている。マリアが身重のエリサベツ
(ヨハネの母)を訪問したことを語る彫像が庭に建っている。庭の石壁にはヨハネの父ザカリア
の賛歌のプレートが各国語で掲げてある。勿論日本語や韓国語もあり、エスペラントのプレー
トもあり、それぞれが自分の国語のものを見付けて喜んだ。エスペラントは漢字やハングルや
ヘブル文字とちがってローマ字で表記され、ラテン語などとよく似ているので見つけにくい。
 



 バスにはイスラエル公認の観光案内人のマリアという人だ。この人のヘブライ語による案内
を通訳するのはイスラエルのエスペランティスト、ミカエル・カルパッチさんである。ところが、こ
の人の携帯電話が頻繁に鳴る。観光地へ着いても電話で話している。マリアさんは困ってしま
って、ドイツ語の分かる人にはドイツ語で、ときには英語で説明をはじめた。ところがこのマリア
さんは植物学に思い入れがあって、白イチジクやブドウの木やなにやら草花を見ると木の下で
ゆっくりと植物の解説をするのである。ところがカルパッチさんも自身で言っていたが植物には
ほとんど興味も知識もない。だからエスペラントに専門用語を通訳するのが面倒なようだ。あ
のたびたびの携帯電話は植物の名前の分かる人に尋ねているのではないかと皮肉る人もい
たくらいだ。
 少年ダビデと巨人ゴリアテが戦った場所だろうといわれるエラの谷を過ぎると、石のごろごろ
した山に着いた。整備された山道を下ると、施設の切符売り場があり、洞窟の中を入っていく。
採石中に発見された鍾乳洞である。照明に浮かぶのは大昔のスペクタクル。ここの施設の学
芸員が説明してくれた。30年ほど前の発見だという。いくつかの石の形がモーセの何やらとか
アロンの杖とかが名前となっている。この中は涼しいが、ここを出てバスまで道を登るのが大
変だ。バスの駐車場近くでアイスクリームを買って食べた。下の方に丘が見え、新しい村に白
い石の家がかたまって建っている。




・植物
 今回はエルサレムを自分たちで自由に、探りながら歩けたのが良かった。だれでもこれから
行きたい人には案内してあげたい気分だ。行くならやはり春がいい。この夏、バスから見た八
福の教会の辺りの野辺はまるでドライフラワーの様相だった。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、
私たちの神のことばは永遠に立つ。イザ40:8」の言葉が目の前にある感じだ。でも水がわずか
でもあるところは渇水に強いと思われる植物がほこりをかぶって生きている。
 イチジクの木を見た。葉も小さく実も小さい。一人が言う、これは白イチジクです、と。その小
さな実はまだ青い。この実が白くなれば熟して食べられるのだろうか。崖の下から伸びていた
その木の実にやっと手が届き一つ取って手にした。だれかが言う、もう1週間くらいたつと食べ
られますよ、と。その人も国では自分の庭にイチジクの木が植えてあるのだろう。
 目を上げるとナツメヤシの実がたわわになっている。バスの中からのナツメヤシの畑が見え
る。高い木が規則正しく碁盤の目に植わった畑だ。帰ってからシマ子の写した写真を見て、カ
ペナウムのペテロの家に見事なナツメヤシの実の房があったことを知った。夫婦でこういう旅
行をするときお互いが個人のカメラを持っていくといい。視点の違う作品を持ち帰ることができ
る。先回の旅行のときお土産にこのナツメヤシの実の甘く干したものを買ったが、帰りの空港
の売り場で手に入ったのは一つだけだった。そんなこともあってかシマ子は今回はカメラに生
のナツメヤシをどっさりと取ってきた。
 エルサレムの旧市街で古い石の階段を上がって入り口になる。ダビデの塔の城壁を歩くに
は入場料がいる。その前に手荷物の検査があった。アラブ人の入場は拒否されるとか聞い
た。ファスナを開けて中を調べる。薄暗い部屋を通るとそこがミュウジウム、大昔の、3000年前
のダビデ時代のこの町の模型がガラスの向こうに展示してある。ふたたび、灼熱の外へ出て
階段を上ると、壁にそってもっと登る。足下がせり上がっている木の階段が旧市街を一望でき
る高さまで案内してくれる。手すりがあり、城壁の物見の石壁を越えて黄金ドームや聖墳墓教
会を見ることができる。石を積んだ昔のたたずまいだ。そこにひともとの草を見つけた。石の隙
間になにか茎の硬い草が生えている。毎日、太陽が照り続けるこの場所でよくもこうして生きて
いるものだ。私たちのウオーキングシューズに踏みつぶされることなく。水分をどこから得てい
るのだろうが。根が石の間をずいぶん深く下まで伸ばしているのだろうか。左手に持ったペット
ボトルの水を一滴注いでやろうかとも思った。水のないところにも生き続ける植物があるのだ。
(つづく)




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