「同労者」第15号(2000年12月)                          目次に戻る

ショートコラムねだ

− 演  出 −

 私たちの教会では、12月になると講壇にろうそくが置かれ、クリスマスに向けて節季の飾りと
される。
 飾るということには演出がつきものである。
 もともと演出とは、演劇の用語である。真実とは関係なく、いかにそれらしく見せるかという技
術である。小学館の国語大辞典に、演出とは「劇、映画、テレビなどで、戯曲や台本を解釈し、
その解釈に従って、演技、装置、照明、音楽など各種の表現要素に統一と調和を与える仕
事。映画界では監督ともいわれる。」と説明されている。つまり映画であったら、演出家は監督
である。この辞典の説明するところによれば、映画監督は台本の作者の意図する内容を汲み
取り、与えられている役者はじめ舞台装置をなどを用いて、その作者の意図を表現する役目
をするといえる。
 しかし、演出は演劇にとどまらず多くの分野で採用されている。先日アメリカで大統領選挙が
あった。選挙に勝つためには候補者が、テレビの討論やさまざまな宣伝においていかに自分
が大統領にふさわしいか演出することに掛かっているといわれている。
 文学の世界でもまた演出が用いられる。三浦綾子氏はその著書の中でこんな内容のことを
述べている。"ある週刊誌の編集者が『三浦さん、三浦さんの視点は新鮮ですね。その三浦さ
んの家庭生活を、随筆風に連載していただけませんか。』…それならというわけで引き受け
た。…このわずか2ページの随筆に、意外な反響があったというのである。…この随筆に続い
て、この週刊誌から、小説の依頼がきた。それは婦人伝道師を主人公にした小説を書いてく
れというのである。…つまり信仰のことを書けという依頼になる。…だがあいにく、婦人伝道師
の資料がまとまらなかったので、私はクリスチャンの女性を主人公とした百枚を書いた。"そこ
で、どのような場面にどのような人物が登場し、信仰が現される状況が起きてくるかを考えた。
つまり、氏は小説の中にクリスチャン女性の『信仰』を演出したのである。蛇足であるが、氏の
自伝、随筆集は小説に優ると私は思っている。そこには真実の悩みがあり葛藤があり、十字
架があり、赦しがあり、救いがある。氏の書き物には根底に信仰者のもつ明るさがある。
「演出」も時宜を得て用いられればよいものであろう。しかし、あたかも演出することが、真実の
内容であるかのように錯覚してはならない。
 私たちの視点が、"いかにうまく演出するかではなく、いかに真実のものを提供できるか"に
あるだろうか
 飾りひとつであっても、それを飾るこころによっては演出にも真実にもなるに違いない。兄弟
姉妹。クリスマスを演出でではなく、真実をもって祝おうではないか。
 


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