「同労者」第15号(2000年12月)                          目次に戻る 

論  説
 ― 羊 飼 い に 学 ぶ ―

「…さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群を見守っていた。すると主
の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使い
は彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知
らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりまし
た。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりご
を見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。』…」(ルカ2:8〜12)

 世界の王の王は、人間の休む家の中でではなく家畜小屋でお生まれになりました。私達はあ
らためて聖書を読むまでもなくそれを知っていて、当然のように思ってしまています。しかし、家
畜小屋で生まれるとはなんということでしょう。ドイツのアイスレーベンという町で、馬小屋で生
まれた人物がいました。マルチン・ルーテルがその人です。彼は私たちに、「救い主」「主キリス
ト」の「素晴らしい喜び」を私たちに与えてくれる人になりました。
 お産をするのは夜が多いことが知られていますが、マリヤもその例に漏れませんでした。そ
の夜その方を拝みに来た人々は家畜小屋に相応しい家畜を飼う羊飼いの人々でした。ここ
に、一番最初にイエスの誕生を祝うのに相応しいと父なる神が認められた人々が誰であった
かが示されています。彼らは動物の汚れと臭いまみれ、野宿・夜番という大変な仕事の最中で
した。それこそ現代の若者たちが3K職場と呼んで寄りつかなくなったという仕事そのもので
す。
 天使が羊飼い達に示したことは、「すべての民の素晴らしい喜び」「救い主」「主キリスト」がお
生まれになったから、行って礼拝しなさいということでした。
 彼らにはその方を取り違えることがないように「しるし」が与えられました。それは「布にくるま
って飼葉おけに寝ているみどりご」がそのお方であるというしるしでした。羊飼いは、イエスを受
け入れる人々を予表しています。それは仕事についてではなく、羊飼いたちのような心を持っ
ている人々がイエスを受け入れるということなのです。羊飼い達は決して富んでいる人々では
ありませんでした。金持ちは夜勤などはいたしません。この羊飼い達の礼拝は、神の救いを受
入ることを意味していました。羊飼い達が見ていたものは、自分たちが育てた可愛い子羊たち
が、罪のための犠牲として、殺されることでした。アベルのように神に受入られる道は、犠牲の
血によることを彼らは知っていたのです。
 会堂では、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」とダビデの歌が朗読されたこ
とでしょう。彼らは羊を飼う者としてその意味をよく理解したことでしょう。




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