「同労者」第15号(2000年12月)                         目次に戻る 

聖書研究

仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 2000.10.31 から
ローマ人への手紙(第15回)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


「私の福音と、イエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていた
が、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、予言者たちの書によって、信仰の従順に導くた
めにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなた方を堅く立たせることのでき
る方に、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでもありますよ
うに。アーメン。」
(ローマ16:25〜27)


 前々回から、この手紙の最後の、結語(結びと個人への挨拶) (ローマ15:14〜16:27)の部分に
入り、この箇所を、以下の3区分に分け、前の2項目を学びました。
・結び(ローマ15:14〜33)
・個人への挨拶(ローマ16:1〜23)
・頌栄(ローマ16:25〜27)
今回は、いよいよ最後の頌栄の部分を学びます。

 5.3頌栄(ローマ16:25〜27)
 この部分の新改訳聖書の訳文は、なかなか難解です。何を言っているのかよく考えないと分
かりません。文語聖書のこの部分は、文語を口語に言い換えて見ると、次のように翻訳されて
います。
「世界が創造される以前から内に秘められていたけれども、全世界の人々がそれ(福音)を信
じ、かれらをそれ(キリストの教訓)に服従させるために、無窮の神の命令で預言者の書によっ
て明らかにされた奥義に従って、私が伝えた福音と私が説いているイエス・キリストの教訓を理
解させ、あなた方を堅固にすることができるお方、すなわち唯ひとりの知恵の神に、御栄えがと
こしえまでもイエス・キリストによってあることを私は願っています。アーメン。」
 両方の訳を比較してみると、ことばが並べ変えられているだけなのですが、文語訳聖書の訳
ならば、かなり良く分かります。

  5.3.1パウロの思想の流れ
 パウロがここに記していることを、箇条書きに整理してみると以下のようになります。
@奥義
・その奥義は、世界が創造される以前から内に秘められていた
・その奥義は、無窮の神の命令で預言者の書に明らかにされた
・その奥義に従って、私(パウロ)は、福音を伝えイエス・キリストの教訓を説いた
 その宣教の目的は、全世界の人々が福音を信じ、キリストの教訓に服するようになるためで
あった。神は無窮のお方であって世界の創造される以前からそれ(奥義)を胸に秘められてい
た。そして適切の時に預言者によって明らかにされた。
A智慧の神
・智慧の神は私(パウロ)が伝えた福音と私が説いているイエス・キリストの教訓をあなたがた
に理解させる
・智慧の神はあなたがたを堅固にされる
・唯独りの神であられる
B頌栄
・この神に御栄えがイエス・キリストによって、とこしえまでもありますように。

  5.3.2着目点とその考察
 今回は以下の点に着目し、考察を加えてみました。
・奥義
・あなたがたの信仰を堅固にさせることのできる神(智慧の神)
@奥義
 この奥義は預言者の書で明らかにされたとパウロは記しましたが、ここにいう預言者は、新
約の預言者です。この奥義はイエス・キリストの福音を明らかにしたものであって、旧約の時代
には明らかにされていなかった(エペソ3:5)からです。
 この福音の奥義は、以下の3項目から成っています。
・あなたがたのうちにおられるキリスト(コロサイ1:24〜27、2:2)
・キリストと教会(エペソ5:22〜33)
・ユダヤ人と異邦人とが一つとなること(ローマ11:25〜32、エペソ2:11〜3:6)

・あなたがたのうちにおられるキリスト(コロサイ1:24〜27、2:2、4:3〜4)
 コロサイ人への手紙にパウロはこのように書きつづります。
 まず私たちが救われている現状を示し、「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛
する御子の御支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは贖い、すな
わち罪の赦しを得ています。」(コロサイ1:13〜14)
 続けて御子とは一体どのようなお方であるかを示します。
 御子は「みえない神のかたち(御子は神そのもの)」(1:15)であられ、「万物は御子にあって造
られ、…御子によって造られ、御子のために造られた(御子は創造者)」(コロサイ1:16)のであり、
御子は「万物に先立って存在し(御子は先在者)、万物は御子にあって成り立って(御子は万
物の保持者)います。」(コロサイ1:17)
「御子はその体である教会のかしらです。」(コロサイ1:18)
「御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。」(コロサイ1:18)
「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ(御子は神の本性)」(コロサ
イ1:19)なさったのであると。
 次に、御子によって私たちにどのような救いがもたらされるか示します。
「その十字架の血によって万物を、ご自身と和解させてくださった」(コロサイ1:22a)
その(神の和解の)目的は、「あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前
に立たせるため」(コロサイ1:22b)であるとします。つまり、神はこれを与えようとしておられるので
す。
 それには条件があって、「ただし、あなたがたは、しっかりした土台の上に堅く立って、すでに
聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければ」(コロサイ1:23a)達成され
ないのです。パウロは私は「この福音に仕える者となった」(1:23b)ので、「あなたがたのために
受ける苦しみを喜びとし…私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」(1:
24)のだと、自分の行動を説明し、それが「キリストのからだ・教会」(1:24)のためだと言います。
 彼が「教会に仕える者」(1:25a)となったのは、「神のことばを余すところなく伝えるため」(1:25b)
であって、その神のことばが「多くの世代にわたって隠されてい」(1:26a)たが、「いま…現された
奥義」(1:26b)なのだと説明します。
 「この奥義とはあなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(1:27)パウロが
はじめに解説した、"御子とはどのようなお方であるのか。"を心にとめて、"私たちの内にこの
御子がおられる"ことの意味合いを考えたならば、それは正に奥義であると分かります。

・キリストと教会(エペソ5:22〜33)
 パウロはコロサイ人への手紙では、奥義の力点を「あなたがたの中におられるキリスト」(コロサ
イ1:27)であるとしますが、エペソ人への手紙では、「この奥義は偉大で」(エペソ5:32a)あって、「キ
リストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ5:32b)
と言いました。
 この部分でパウロが解説している、"キリストと教会の関係"とは、"夫婦の関係"をさすもので
あることは明白です。
 なぜ夫婦の関係が、奥義なのでしょうか?「人はその父と母を離れて妻と結ばれ、ふたりは
一体となる。」(エペソ1:31文語訳から)のです。妻となる人は、「父の家を出(忘れ)」(詩篇45:10)
て夫の家に住み、夫の名を名乗り、「夫に従い(夫の心を行い)」(エペソ5:24、ペテロT3:1〜6)ま
す。そのとき、妻は夫にとって、「あなたのふところの妻」(申命記13:6文語訳から、サムエルU12:
8)と言われる存在になります。御子が、「父のふところにおられた一人子、イエス」と呼ばれるよ
うに、"ふところ"こそ最も愛する者の座であって、霊的交わりと愛情の場を現しています。
 キリストと私たちとの関係がこのようなものになること、これが第二の奥義なのです。

・ユダヤ人と異邦人とが一つとなること(ローマ11:25〜32、エペソ2:11〜3:6)
 ユダヤ人と異邦人とが一つとなるということは、殊にユダヤ人にとって大変なことであったで
あろうと思われます。しかし、それが"福音の奥義である"と言うのです。
その理由は、"愛の完全"がここにあるからです。考えてみれば分かることですが、異邦人を、
天国の外に閉め出しておいて、愛が全うされるでしょうか?
 これは同時に、教会の中における「一致」と「神の建物の建設」の問題であることが記されて
います。
「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。…そのころ
のあなたがたは、キリストから遠く離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については
他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。…しかし、以前は遠く離れて
いたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者
とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこ
わし、ご自分の肉において敵意を廃棄された方です。…このことは、二つのものをご自身にお
いて新しいひとりの人を造り上げて平和を実現するためでした。…こういうわけで、あなたがた
はもはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒と同じ国民であり、神の家族なのです。…あな
たがたは、使途と予言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石
です。この方にあって、組み合わされた建物全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
…その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、と
もに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」(エペソ2:11〜3:6)

Aあなたがたの信仰を堅固にすることのできる神(智慧の神)
 パウロの、神に対する頌栄の思いは、 11章で神の「知恵」に向けられていました。(ローマ11:
33)この最後の部分で、彼はもう一度「知恵に富む神」を頌えています。 そして、この知恵の神
は「あなたがたを堅く立たせることができる」(ローマ16:25)と示しています。

<今回の学びの結び>
 パウロは、自分のつとめについてこう言います。「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私
に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また万物
を創造された神の中に世々隠されていた"奥義を実行に移す"務めが何であるかあきらかにす
るためにほかなりません。」(エペソ3:8〜9)
 奥義を実行に移すことこそ現在の私たちに課せられた課題であって、そこに私たちの目指す
"ホーリネス"と"教会の建設"の鍵があります。

おわりに
 ローマ人への手紙を学ばせて頂いて、私は大変感謝を覚えています。私自身が学ぶ前に思
っていた、ローマ人への手紙のアウトラインともい言うべき姿が、この学びで新しい光を与えら
れて、一新されてしまいました。なお、この予稿の全体を整理し直して、皆さんに利用して頂き
たいと思っています。
 

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