「同労者」第16号(2001年1月)                        目次に戻る

証 詞

開 け 渡 し
荒川聖泉キリスト教会  永岡 弘行


 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わ
たしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3:
20)
 イエス様と楽しく食事をするまでには多くの年月がかかりましたが、神様は次のようにその経
験へと導いて下さいました。


 私は遠くに聞こえる雷の音で目をさましました。大変暑かった夏から秋への変化の兆しでしょ
うか、・・イエス様が十字架にお架かりになった時の雷はどんなものだったろう。・・私が心の戸
を開け、聖霊様に入ってもらってからの生活は、季節の変化の雷と同じで、大変なものでした。
 「小さなみ声に注意するように」とのメッセージに耳を傾けながら、これまでの仕事の仕方、家
庭生活、夫婦のあり方を反省する日々でした。小さい頃から比較的素直な方だったと思ってい
ましたが、なんと頑固な「自分」が心の中にいるのだろうと、驚くばかりでした。ちいさな桶の中
に里芋を入れて、棒でかき回しながら皮をむくのと同じようでした。信者同志、兄弟姉妹の関
係、切っても切れない関係の中で"自分"の発見と開け渡しの日々でした。
 ある時はこんなことがありました。早天祈祷会で「いとも良きものを君に献げよ」の讃美歌をう
たいました。その歌がいつまでも頭から離れませんでした。自分にとって、一番大切に思ってい
るものはなんだろうと、仕事をしながらも思いめぐらしていました。私は小さい頃から、自動車
が好きで、自動車産業のために生涯を掛けても良い思っていました。そして勉強し、多くの資
格を取りました。しかし今は導かれて全く畑違いの仕事をしているこの"自分"に対する聖霊様
のささやきでした。
 私は意を決して、"自動車に対する思い"を献げました。
 又こんなこともありました。私の仕事は妻の姉夫婦との共同経営でした。小さい会社で、独立
したばかりでしたので、会社の経営は中々うまくゆきませんでした。お金が時々不足することが
ありまして、運転資金をめぐって私たちの持っている個人的なお金が、いろんなことでお互いに
気になりはじめました。「そのお金を献げたらどうか」と導かれました。それはかなりまとまった
お金でした。半年たつと子供が生まれることも分かっていました。夫婦で働いて貯めたお金ば
かりではありませんでした。妻の結婚の時の支度金も含まれていましたし、いろんなことで心の
中での戦いがありました。しかし私は生活費1ヶ月分だけ残して、全部整理しました。
 イスラエルの民が約束の地に入って三十一王と戦ったと同じように、"自分"との戦いでした。
 牧師さんから「必ずや、エホバを待ち望め」の詩篇27篇のみことばが与えられて、その期間
を通過していました。
 こんな生活が4年も続いた暑い夏のことでした。「こんな生活をいつまで続けるのですか。牧
師さんは、『待て。』とおっしゃっています。」と押入に入って祈るようになりました。
 静まっていますとなんとも言えない平安が与えられました。「なにが不足なんだ、必要なもの
はなんでも与えているではないか」との声がありました。家族の健康も、経済も、親達も守られ
ていることを教えられました。第一夜も第二夜も同じでした。感謝を思い出すことが続きまし
た。
 第三夜になって、「これからのことを私に委せることができるか?」との問いかけでした。イエ
ス様に私の過去に犯した罪の整理をしていただき、尚私の罪の性質である"自我"のためにも
"信ずる"だけで恵みが与えられていることを思う時、「これからのこともお委せします。」と約束
しました。
 このことが第四夜も続き、尚第五夜も静まっていますと、「私を呼べ。そうすれば、わたしはあ
なたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
のおことばが与えられました。それから第六夜目も同じおことばに導かれました。このおことば
を聖霊様からのおことばとして、押入から出ました。それは昭和46年8月30日の夜のことでし
た。
 それから不思議な方法で、仕事を独立する道が開かれました。
 この時の「心の戦い」の四年半は、その後の私にとっての大切な基礎となりました。





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