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          「同労者」第16号(2001年1月)
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           私たちは、聖泉連合として出発して以来ずっと「教会の建設」ということを掲げてきました。教
           
          会の建設とは言うまでもなくそこに集まって来た人々の信仰者としての建設に他なりません が、ある人はこういうことが建設だと思い、他の人はまた別のことを建設だと思う事態もあり得 ます。私たちが共通して同意できることは、『聖書に書かれていることを正しいとする』ことで す。ですから聖書がクリスチャンをどいうものと見ているかと言う観点から、聖書はクリスチャン を何と呼んでいるか調べ、私たちに対する神様のご期待を把握させて頂きたいと考えました。 
          1.クリスチャンの名称とその実例
           
          
          (1)神の民
           
          
            マタイ1:21「ご自分の民をその罪から救ってくださる」、ルカ1:68、ルカ1:77、ルカ7:16、ローマ9:25
           
          
            コリントU6:16「彼らはわたし(神)の民となる」、ヘブル8:10、ペテロT2:10、黙示21:3
           
          
          (2)神の子ども
           
          
            ヨハネ1:12「神の子どもとされる特権をお与えになった。」、ローマ9:26、ローマ8:14、16、19
           
          
            コリントU6:18、ヨハネT3:1、3:9〜10
           
          
          (3)御国の子ども
           
          
            マタイ8:12
           
          
          (4)光の子ども
           
          
            ルカ16:8、テサロニケT5:5、エペソ5:8「光の子どもらしく歩み」
           
          
          (5)新しく生まれたもの、聖霊によって生まれたもの
           
          
            ヨハネ3:3、6、8
           
          
          (6)弟子――福音書に225回でている
           
          
            マタイ5:2、マタイ10:1〜2
           
          
            マタイ28:19〜20
           
          
          (7)信者
           
          
            コリントU6:14〜16「信者と不信者と何のかかわりがあるでしょう。」
           
          
            テモテT5:16、テモテU6:2
           
          
          (8)キリスト者(クリスチャン)
           
          
            使徒11:26「弟子がちはアンテオケで初めてキリスト者と呼ばれた。」
           
          
            使徒26:28、ペテロT4:16
           
          
          (9)兄弟(姉妹)――ローマ人への手紙以下の書簡では、ほとんどこの"兄弟"という用語が用
           
          いられている。 
            マタイ23:8、ルカ22:32、使徒1:15、ローマ15:14、コリントT1:10、ガラテヤ1:11、ヘブル3:1、ヤコブ5:19
           
          
            ヨハネT3:13〜19
           
          
          (10)聖徒
           
          
            ローマ1:7、8:27、12:13、16:2、コリントT1:2、6:2、16:1、エペソ1:17〜19、コロサイ1:12、1:4
           
          
          (11)その他(名称というよりも働きを示すものが多い)
           
          
            ローマ1:6 召された人たち
           
          
            マタイ24:31、ペテロT2:9 選びの民
           
          
            ペテロT2:9 王である祭司
           
          
            ペテロT2:9 聖なる国民
           
          
            ペテロT2:5 聖なる祭司
           
          
            ペテロT2:5 霊の家
           
          
            コリントU6:16、黙示21:3 生ける神の宮
           
          
            テモテT6:11 神の人(テモテ個人が、そう呼ばれている)
           
          
          2.クリスチャンの名称の持つ意味合いについて
           
          
          (1)新約時代の幕があけ、「悔い改めなさい。神の国が近づいたから。」(マタイ3:2)との宣言がな
           
          されました。つまり、「神(天)の国」に住む(属する)人々が「神の民」です。神の民であることが できる要件は、「悔い改め」て「福音(キリストによる救い)を信じること」です。 
          (2)聖子イエスは「父なる神」を示され、神が救われた全てのクリスチャンの「父である」と教えら
           
          れました。(マタイ5:45、6:1、6:4、6:6、6:8、6:9、7:11) 
          その関係によって与えられた呼び名が「神の子ども」であり、神(天)の国の子供たちという意
           
          味が加わって「御国の子(等)」と言われました。 
          (3)光の子どもというのは、正義に属する者であることを示します。
           
          
          (4)聖なる神の子どもとして"義"なる品性が要求されますが、それは悔改めによって罪を赦され
           
          ると同時に、「新しく生まれる」ことにより、新しい性質を持つ者に変えられることによって与えら れます。(ヨハネ1:12〜13) 
          (5)聖子イエス・キリストはご自分のもとに来た人々を「弟子」とされました。
           
          
          (6)信じる者と信じない者の対比から「信者」と「不信者」と呼ばれます。これは"信仰によってキ
           
          リストに結びついている者"がクリスチャンであることを示します。 
          (7)この世の人々は弟子達を「キリスト者(クリスチャン)」と呼んで自分たちと別な人々であるこ
           
          とを示しましたが、信じる者たちも自らその呼び名をよしとして受け入れ、自らの呼び名としまし た。 
          (8)「兄弟(姉妹)」というのは、信じた弟子達がお互いに呼び合う名称です。皆神の子どもたち
           
          であるからです。 
          (9)「聖徒」、それは聖霊によってこの世から分離され、聖別された人々に与えられる光栄ある
           
          名称です。 
          3.建設の鍵は「弟子」である。
           
          
           神が私たちに与えて下さる恵みは、いろいろな道すじによることが示されています。悔改めと
           
          新生によるもの、聖霊が臨まれることによるもの、日常の歩みの中で導かれるもの等々であ り、それらは私たちの様々な方面に働き、また互いに関係しあいます。 
           それらの中にあって、イエス・キリストがご自分のもとに来た人々を「弟子」として訓練されたこ
           
          とは、大切なヒント、つまり私たちが地道な信仰者として、自らの信仰を建て上げさせて頂きた いと考えて、どのような道を通らせて頂いたらよいかと問うた時の答を与えているように思いま す。 
          (1) ヨハネ13:4〜5、12〜16
           
          
           弟子はイエスの模範に従うことが期待されている。
           
          
          (2) ヨハネ14:2〜3
           
          
           弟子にはやがて、主と共にいることが約束されている。
           
          
          (3) ヨハネ14:16〜17
           
          
           弟子には助け主(聖霊)が与えられる。
           
          
          (4) ヨハネ14:23〜24
           
          
           弟子にはキリストのことばを守ることが要求される。
           
          
          (5)ヨハネ15:4
           
          
           弟子にはキリストとの人格的な交わりが続く。
           
          
          (6)ヨハネ15:12〜13
           
          
           弟子には互いに愛し合うことが期待されている。
           
          
          (7)ヨハネ15:16
           
          
           弟子の祈りは聞いて頂けることが約束されている。
           
          
          (8)ヨハネ15:20
           
          
           弟子は世の人から迫害される。
           
          
          (9)マタイ28:18〜20
           
          
           弟子は、イエス・キリストに代わって世に遣わされ、次の人を弟子にする。
           
          
           "弟子"とは何であるか、短いレポートでは言い表すことが困難です。それで要点のみ述べま
           
          すが、マタイ28:18〜20の聖言に沿って宣教が行われるのですから、実際には先に救われたどな たかの「弟子」になるところから始めなければならないということを受け入れることが大切なの です。 
          「おなじように若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を見に着けなさい。神は
           
          高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。 
           ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、
           
          あなたがたを高くしてくださるためです。 
           あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくだ
           
          さるからです。 
           身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食
           
          い尽くすべきものを捜し求めながら、歩きまわっています。 
           堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、この世にあるあなたがた
           
          の兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。(ペテロT5:5〜9)  |