「同労者」第17号(2001年2月)                        目次に戻る

証 詞

救 い の 証 詞
盛岡聖泉キリスト教会  吉田 恵子


 私の生まれ育った所は、宮城県柴田郡川崎町大字本砂金という山に囲まれた雪の深い静
かな農村です。家は林業で、父と長男の兄夫婦がその仕事をしていました。私は七人兄弟の
末っ子として生まれましたが、2年後にはすでに叔母さんになっていました。一緒に住んでいた
長男夫婦に子供が生まれたからです。ですから甥や姪とは兄弟のように育ちました。
 父が戦争に行って家にいないときは、母も行商をしたりしてずいぶん苦労したようです。父は
軍人だったとうこともあってか兄や姉たちはずいぶんきびしく育てられたようです。姉が怒られ
ると私はいつもかわいそうで泣いていたのを覚えています。私が小学生の頃はすでに兄や姉
は就職したり結婚した者もおりました。兄達は中学を卒業しすぐ家を離れ、職について夜間高
校で勉強しながら仕事をしていました。でもすぐ上の姉は就職して身体をこわしたり、人間関係
でつまずき、仕事も長続きしないことに両親は心を痛めていました。そんな様子を見たり聞い
たりして、私は姉のように親に心配をかけないようにと思うようになりました。
 中学三年の進路を決めるとき、美容師になることを決意し、就職することに決めました。担任
の先生の紹介して下さった美容室に決まりましたが、後から考えてみると別な美容室の話があ
ったにもかかわらず、エステル美容室になったのは神の摂理と考えています。不安と期待を持
ちながら15年間住んでいた家と家族から離れ、私の仙台での住み込み生活が始まりました。
 住み込みですから、もちろん食事も皆一緒です。家族的な雰囲気に張り詰めていた気持ちが
少しずつ薄らいでいきました。
 食事の前にお祈りをする事を知りました。日曜日はお店が休みで家族で教会に行くことを知
りました。誘われるままに教会に行きました。田舎者の私は一人じゃどこにも行くことが出来ま
せんでしたので。教会は本で見たことしかなかったので、何かドキドキしながら行ったのを覚え
ています。
 礼拝の話はよく分かりませんでしたが、自分の求めていたものが見つかったという思いと何と
も言えない喜びで胸がいっぱいでした。そしてそのときから教会に行くのが楽しみになりまし
た。自分一人で背負っていた荷をおろしてもいい所、不安や悲しみもつつみこんでくれる場所
になりました。
 教会に行くようになって少しずつ罪について説教で語られるようになりそれを聞きながら「私
は罪人じゃない。何も悪いことはしていない。」と心の中で否定していた面がありました。でもだ
んだんうそをついたこと、物を盗んだこと、悪口を言ったことなども罪であることを示され、悔い
改めました。1968年12月22日受洗することができました。



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