「同労者」第17号(2001年2月)                          目次に戻る

祈りの小部屋

 − 三浦綾子著、生きること思うことから −

 「同労者」の掲載記事のアンケートに、"デボーションに関するもの"という要望があり、何らか
の形でそれに応えたいと思ってきました。それで今回、三浦綾子さんの著書から祈りについて
参考になることがらを引用紹介させて頂こうと思います。
 コラムタイトルの「祈りの小部屋」は次のことを覚えてつけました。亡くなられた仙台教会、森
田咲子姉は、ご主人と共に生花業を営んでおられました。現在そのお店は別の場所に引っ越
されましたが、前のお店では、階段の側に普通なら物置程度に使われる小さな部屋がありまし
た。姉妹はそこを自分の祈りの部屋として使えるように確保しておられました。商売をする家庭
のおかみさんは、大変忙しいことは言うまでもありません。妻をつとめ、子育てをします。店で
は電話番はもとより帳簿をつけ、経理もし、客の接待も店の売り子もします。クリスチャンの悩
みは忙しいだけではありません。クリスチャンとして、自分は、夫は、子供たちは、商売はなど
などについて、こうあらなければならないというものをもつが故に悩むのです。姉妹はその忙し
い中に時間を確保して、その悩みを抱えてその祈りの小部屋に頻繁に入っておられたとうかが
っています。


 (三浦綾子著、「生きること思うこと」、新潮文庫、p.188〜) ・・(自宅に)帰り着いたとたん、
たくさんの手紙が待っている。その中に同姓の二通の手紙があった。・・(以下にその手紙をも
らうことになったいきさつが書かれている。)
 今日は五月八日である。あれは何か月前だったろうか。北陸地方のある婦人から、手紙を
いただいた。わたしの「この土の器をも」を読み感動した。そこで一つ願いがある。そのねがい
というのは他でもない。やくざで暴力団に入っている息子がパウロのような鮮やかな回心がで
きるように祈ってほしい。その祈りを三浦光世に祈ってほしいというのである。
 「この土の器をも」には、三浦が「氷点」の入選を祈り、その祈りはすでにかなえられたと確信
していたと書いてある。その時、三浦は、
「なんでも祈り求めることは、すでにかなえらえたと信じなさい」
という聖書のみ言葉を与えられたとも書いてある。
 これは確かにそうなのだ。三浦はそんなことを書いてはいけないといった。
「どうして?あなたは確かにこの作品は入選したぞって、言ったじゃない。そして確信していたじ
ゃないの。その確信通りになったことを、証しとして書くことはかまわないと思うけれど」
 わたしは不満だった。
「それは確かにそうだったが、わたしは常にそのように信心深い人間ではない。そんなことを書
かれると、すばらしい信仰を常に持っていると、錯覚する人も出てくるよ」
 三浦は固辞した。無論、三百六十五日、常に強い信仰だとは言えない。けれども確かに神は
私たちの祈りをきいてくださった。その事実だけは書いておかねばならない。わたしはそう三浦
にいって強引に書いたり、語ったりしてきたのだ。
 そういう、いきさつがあったので、この御婦人の手紙を見た時は、
「さあ、大変よ。光世さん、がっちりとお祈りしてあげてよ。これは大変なお祈りですからね」
 秘書の夏井祐子さんも、早速、自分の机の上に、その婦人の名を書き、祈ってくれることに
なった。
いままで、神様は、たくさんの祈りをきいてくださった。が、しかし、暴力団に入っている青年
が、パウロのように回心するという祈りは、実のところ、むずかしいとわたしは思った。
 神様は、風邪を治すのも、癌を治すのも、同じく容易なのだ。そう、常々は思うことがあって
も、いざとなると、わたしはやっぱり神を人間よりややすぐれたかたぐらいにしか、信じていない
ところがある。
「あの人ならすぐ入信するかもしれない。しかし、この人ならとても救われようがない」
などと、傲慢にも思うことがわたしにはあるのだ。あれは、アル中だから駄目だ。これは大嘘つ
きだからだめだ。良心のひとかけらもないから、絶望だ。乱暴者だから神など信じまい。わたし
は、いつも、そんなことを思って、はじめから祈りの中に入れていないことがある。
 これではまるで、神の全能を信じていないのと同じなのだ。考えてみると、わたしのように生
きることに消極的で、男友達が多く、でたらめな生活としていた人間でさえ、神さまはとらえてく
ださったのだ。クリスチャンが大きらいで、キリスト教の悪口ばかりいっていて、教会の長老に
「度しがたい人間」といわれたわたしが救われたのだ。
 信仰というのは、人間の方に、まず救わるべき何か功績があるわけではない。これは、牧師
からも幾十回となく聞いてきたことなのに、やはり、わたしは、傲慢にも、あの人は救われがた
い、この人はむずかしいと、決定的な判断をくだして、その判断をまちがっているとも思わずに
暮らしているところがある。この思いが、肉親に対しては、特にいちじるしく働いていることを、
わたしは、いま深く反省している。
 とにかく、この婦人の手紙は、わたしたちを驚かせた。そして少なくともその当時は祈った。
が、この祈りをどれだけ真剣に祈ったかと問われると、わたしは、申し訳ないような気がする。
 ところで、今日のその同姓の手紙は、その婦人からであり、もう一通はやくざだった息子さん
からである。わたしはここに「やくざだった」と過去形で書いた。次の、彼の手紙を読んでいただ
きたい。彼は「やくざだった」が、今は、そうではない。ここに、恐ろしいまでの、神のみ業があら
われているのだ。

 はじめて、お便り申し上げます。ぼくは、○○○子の息子、○○○○と申します。愚か者です
が、一月ぐらい前から、キリストを信じ、そして、お祈りできなかった僕が、お祈りできるようにな
りました。
 いろいろ職を変え、ヤクザに入っていましたけれど、今やっと小指をつめカタギの世界に入
り、イエスを信じて涙があふれてなりません。今までの自分と、今の自分とをくらべて見ると、ほ
んとうに恥ずかしく愚かものでした。
 けれど、三浦さんや教会の人たちが、やさしく迎え入れてくれるので、涙があふれ出るのをこ
らえられなく、泣き出してしまいました。
 母がいつも僕に、パウロでさえ変えられたではないかと言って、ヤクザ渡世にいた時も僕を、
ゆるしてくださいました。しかし、今は僕の母以上に、主をみつめることに決心しました。・・
 ありがとうございました。ありがとうございました。ほんとうにありがとうございました。

 わたしは、神が全能のおかたであることを、いま改めて知らされたような気がする。神にとっ
て、手に余る人間は一人もいないということを、はっきり知らされたのだ。
 もう一通の、この青年の母親の手紙を抄してみよう。

 前略
 先生に、おねがいのお手紙を出してのち、息子は病院に入院しておりましたが、昨日退院し
ました。となりのベットには、聖書のことを少し知っている大学生がおり、受け持ちの医師はクリ
スチャンでありました。
 そのために、信仰を持つようになり、日曜日には、外出許可をいただいて、わたくしと一緒に
行っておりました。退院しても一日何回も祈り、今朝は、早朝、祈りの集会に進んで行きまし
た。
 昨日の礼拝後、泣いて今までバカだったと私にあやまり、牧師先生にも、両手をついて、先
生許してください、許してくださいと泣きつづけました。
 後略
 

「預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよ
められないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」 (ルカ4:27)とのイエスのことばが思
いされます。このイエスの言葉には、他のらい病人たちも潔められることができたはずなの
に・・というニュアンスが込められています。私たちは多くのユダヤ人の側に入るのか、シリヤ
人ナアマンの側に入るのか、どちらでしょうか。三浦綾子さんのこのお証詞は、彼女たちがナ
アマンの側に入ったことを物語っています。デボーションはこの差をよく考えて信仰による勝利
者の例に倣うことからはじまると思います。
 三浦綾子さんの証詞の青年が救いに与るに至った背景を考えてみると、まずとなりのベット
の青年とクリスチャンの医師という働き人が遣わされたことがあげられます。この働き人も祈り
によって派遣されたものでしょう。もし祈りがなかったなら、働き人がこの青年をキリストに導く
ことができたでしょうか?つまり主導的働きは祈りにあります。出エジプトしたイスラエル人がア
マレク人と戦ったとき、ヨシュアが指揮する実際の戦は、モーセが祈ると勝ち、祈りが止まると
負けたように。(文責:野澤)
 


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