「同労者」第17号(2001年2月)                目次に戻る

巻頭言
− 2001年に思う − 
仙台聖泉キリスト教会   玉城 憲一

「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれ
る。」(ゼカリヤ13:1)

 新しい2001年の年を迎えて、2000年の年にまさる年になるように期待いたします。2000
年はさまざまの事がありましたけど、無事乗り越えることができました。まずその事を神に感謝
いたします。
 去年は私の所でも今までとは違うぞ、どういう時代になるのかな、と思わせられる事がありま
した。家の後ろに30年以上たった建設会社がありましたが、仕事がなくなり倒産しました。作
業場を取り払い、駐車場にし、仕事で騒音を出した時もありましたけど、今は静かになりまし
た。塀を治さなければならない事もありました。又家から1km位の所に宮城生協店がありまし
たが、新しい店が出来たためにお客が少なくなり、いつ倒産してもおかしくない状態です。日曜
日の礼拝の帰り、買い物をしていた店がありました。けど店の入り口の所に「価格競争により、
店を閉鎖します。」という内容のビラが貼ってありました。今までお客さんはあんなに多くいたの
に何故、と思いました。
 今政府は、景気を良くするために様々な政策を打ち出している、景気は少しずつではあるけ
ど上昇しつつある、と言っていますけど、そうではない、まだまだ厳しい現状だと、景気の先行
きを楽観視していない人達が大勢おります。
 信仰生活も経済問題に大きく影響を受けます。「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大き
な利益を受ける道です。」(テモテT6:6)神はいかなる時においても必要を満たし続けて下さる方
であります。しかし私共が求め続けて行かなければならないのは、潔めであります。聖なる神
に一歩でも二歩でも前進させていただき、弱き者から強き者へと変えていただきたく願います。
そうする事がこの時代の中で、神のふるいにかけられても残るものであります。「国々の民よ。
大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。」(詩篇99:3)
 「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれ
る。」(ゼカリヤ13:1)"聖泉"の意味をあらためて玩味させていただき、罪と汚れから離れてゆく年
となるようにお祈り致します。




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