「同労者」第17号(2001年2月)                      目次に戻る 

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。
質問の送付先は巻末にあります。



 先月の質問は
   1.聖霊の賜物とはなんですか?
   2.潔められると聖霊の賜物が頂けるのですか?
です。
 今月もまた回答例をあげてみますが、書き物にしていなくても、まずはじめにこう思うというも
のを考えてご自分の回答としてください。それから回答例とご自分の回答とを比較してみて下さ
い。その比較が内容を把握する力になります。比較することなく読むと目が文字を追うだけで
頭にも心にも届かないことが多いのです。

先月の質問の回答例(作成者:野澤)
1.聖霊の賜物とはなんですか?
 コリント人への手紙12章の中で、パウロは聖霊の賜物として以下のことをあげています。
  ・知恵のことば
  ・知識のことば
  ・御霊による信仰
  ・いやしの賜物
  ・奇蹟を行う力
  ・霊を見分ける力
  ・異言
  ・異言を解き明かす力
 聖霊の賜物は、私たちが「天国に入れていただくため」のものではなく、私たちの「地上の働
きのために」与えられるものです。私たちが天国に入れていただくために必要なものは、「救い
=義認と新生」と「潔め=聖化」です。四重の福音といって、「新生」「聖化」「神癒」「再臨」と並
列に並べる方々もおりますが、その意味合いを分かっていなければなりません。「新生」「聖
化」は私たちが天国に入るための必要条件、「神癒」は聖霊の賜物の一つであって地上の働
きのため、「再臨」は神が歴史を動かして行かれる未来のプログラムの一こまで、今の時代す
なわち聖霊と教会の時代の終わる転機的できごとです。それはキリストの降誕に並ぶ大事件
であって、人間の手の届かない所にあります。イエスも地上におられるときには「その時を知ら
ない。」と明言されました。「再臨」は私たちの「希望」につながっています。敬虔なユダヤ人たち
によってキリストの降誕が待望されたように、クリスチャンたちもまた再臨を「待望」すべきで
す。
 聖霊の賜物の位置づけは、「地上の働きのため」なのですから、私たちがイエス・キリストの
ため、すなわち、福音のため、教会のため、愛する者たちのため、隣人たちのために働きたい
と願うとき、是非ともそれをいただく必要があります。
 イエスが天に帰られた後、弟子たちは聖霊の賜物なしには働くことが出来ませんでした。弟
子たちに与えられた賜物は、説教すること、教えること、病を癒すこと、異言を語ること、預言
することなどでした。「預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれ
ます。」(コリントT13:8)とありますが、一方むしろ積極的に「あなたがたは御霊の賜物を熱心に求
めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊に与えられるよう、熱心に求めなさ
い。」(コリントT14:12)と書かれています。パウロは愛がもっと大事だ、と述べていますが(コリントT
13:1〜3参照)、働きを否定しているのではなく、私たちの心の動機が愛でなければならないと
言っているのです。愛を心の動機とする働きが結果に結びつくためには賜物が必要なのです。
 聖霊の賜物は誰にでも好き勝手に欲しい賜物が与えられるのではありません。聖霊が誰に
どのような賜物をお与えになるかは、その人が派遣される働き場によるのです。賜物が欲しい
から働き場を考えるのではなく、福音のための働きに志を与えられることがまず必要なことで
す。働きに必要のない異言などは、今の私たちがそれを持つことを望んでも与えられないでし
ょう。しかし働きに必要な賜物は、今もそれを与えられることを期待すべきです。
 そして実際にそれを与えられるか否かは、その働きをする人自身の「信仰」によります。また
「祈り求める」ことも必要です。執拗な祈りなしに聖霊の賜物が"棚ぼた"式に与えられるとは考
えられません。これが聖霊の賜物を持つ人が少ない理由です。

2.潔められると聖霊の賜物が頂けるのですか?(この回答例は来月掲載します。)


今月の質問
 次の問にまず自分で回答を考えてみて下さい。
1.イエス・キリストは癒しをはじめとする奇跡を行われましたが、それにはどのような意味、目
的がありましたか?





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