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          「同労者」第17号(2001年2月)
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           前回は、クリスチャン一人一人を聖書はどういう名称で呼んでいるかを拾い上げ、聖書がク
           
          リスチャン個人をどういうものと見、神が私たちに持っておられる期待について考察しました。 今回は、クリスチャンの集まりである「教会」について、同様に、聖書がこれをどう呼んでいるか という点から学ぼうと思いしたが、実際にこれを行ってみたところ、教会についてはその呼び名 よりも、"キリストの体とは教会のことです。"(コロサイ1:24)のように、教会とはどういうものか説明 している表現が多いことを見いだしました。これらを含めて教会に関する聖書の教えを学ばせ て頂きたいと思います。 
          1.神の民―その歴史(救拯史)上の展開
           
          
          (1)旧約の神の民
           
          
           旧約の時代にはイスラエルが神の民でした。
           
          
          ・それはアブラハムとの約束でした。
           
          
           「主はアブラハムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
           
          わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし…』」(創世記12: 1〜2) 
           「そこで、アブラハムに(神の)仰せがあった。『…あなたの子孫は、自分たちのものでない国
           
          の寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、…そこから出てくる ようになる。…四代目の者たちがここに戻ってくる。…』」(創世記15:13) 
           「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。『わたしは全能の
           
          神である。…わたしはわたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後の子孫との 間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神と なるためである。』…」(創世記17:1〜10) 
          ・アブラハムにはイサクとイシュマエルという二人の子どもがいましたが、サラの子イサクのみ
           
          が選ばれ、ハガルの子イシュマエルは神の民から除外されました。 
           「…イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる…」(創世記21:12)
           
          
          ・イサクにはヤコブとエサウという双子がありましたが、ヤコブだけが神の民の相続者となりま
           
          した。 
           「主が彼(ヤコブ)のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。『わたしはあなたの父ア
           
          ブラハムの神、イサクの神、主である。…地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によ って祝福される。』」(創世記28:13〜14) 
          ・ヤコブにはイスラエルという名が与えられ、彼の子孫はすべて神の民となりました。
           
          
           「あなたの名はイスラエルでなければならない。」(創世記35:10)
           
          
          ・出エジプトしたイスラエルは国家を形成しましたが、そのとき神はモーセを通してご自分の民
           
          の地位を、「祭司の王国、聖なる国民」(出エジプト19:6)であるとされました。 
          (2)新約の神の民
           
          
          ・イエス・キリストは、新しい神の民がイスラエル以外の人々から選ばれることを予告されまし
           
          た。 
          「神の国はあなたがた(ユダヤ人)から取り去られ、神の国の実を結ぶ国民にあたえられま
           
          す。」(マタイ21:43) 
          ・ペンテコステとともに新約時代が到来し、その冒頭のペテロの説教に新しく神の民に加わる
           
          人々が予告されています。 
          「この約束(聖霊を受けること)は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにい
           
          る人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」(使 徒2:39) 
          ・パウロは、"信仰の従順によってキリストに召された人々、召された聖徒たち"とローマの信者
           
          を呼びました。 
          「あらゆる国の人々に信仰の従順をもたらすためです。…ローマにいるすべての、神に愛され
           
          ている人々、召された聖徒たちへ。」(ローマ1:1〜7) 
          ・異邦人が我が(神の)民と呼ばれるようになりました。
           
          
          「神はこのあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召
           
          してくださったのです。…わが民でないものをわが民と呼び、…生ける神の子どもと呼ばれる。 …」(ローマ9:24〜26) 
          ・召しの鍵は信仰です。
           
          
          「かれら(ユダヤ人)は不信仰によって折られ、あなたがた(異邦人)は信仰によって立っていま
           
          す。高ぶらないで、かえって恐れなさい。」(ローマ11:20) 
          ・アブラハム、イスラエル(ヤコブ)、ユダ(ダビデ)の家との契約を更新して、"新しい契約"を結
           
          ぶ日が実際に来たのです。 
          「主が言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ
           
          日が。それは、わたしが彼らの先祖達の手を引いて、彼らをエジプトから導き出した日に彼らと 結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも彼らを顧 みなかった…それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれであると、主が言 われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いに入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼ら の神となり、彼らはわたしの民となる。…神が新しい契約と言われたときには、初めのものを 古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。」(ヘブル8:8〜13) 
          ・新約の神の民はキリストの割礼を受けた者です。
           
          
          「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨
           
          て、キリストの割礼を受けたのです。」(コロサイ2:11) 
          ・新約の神の民の国籍は天にあります。
           
          
          「私たちの国籍は天にあります。」(ピリピ3:20、エペソ2:19)
           
          
          ・新約の神の民は旧約の時代にイスラエルに帰せられていた祭司の王国、聖なる国民(出エジ
           
          プト19:6)という名とその地位と働きを継承し、新約の王である祭司、聖なる国民なのです。 
          「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。…以
           
          前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったの に、今はあわれみを受けた者です。」(ペテロT2:4〜10) 
          (3)神の民の未来
           
          
          ・異邦人の完成の時、イスラエルがみな救われる日がやってきます。
           
          
          「…。こうして、イスラエルはみな救われるということです。…」(ローマ11:25〜36)
           
          
           その日には、旧約の神の民(イスラエル)と新約の神の民(異邦人)とが一つの神の民となる
           
          ことでしょう。「両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。」(エペ ソ2:16) 
          2.教会――異邦人の時の神の民は"教会"と呼ばれる。
           
          
          (1)イエスを神の聖子キリストと信じる信仰の上に「教会」は建てられます。
           
          
          「…。あなたは、生ける神の御子キリストです。…わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てま
           
          す。…」(マタイ16:13〜20) 
          (2)キリストの名によって集められた信者の中にキリストがおられ、そこに教会があります。教会
           
          には事を裁く権威が与えられています。 
          「…何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あおながた地
           
          上で解くなら、それは天においても解かれているのです。…」(マタイ18:15〜20) 
          (3)ペンテコステの日の後、弟子達は自分達のことを教会と呼ぶようになりました。
           
          
          「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たち…」(使徒5:11)
           
          
          (4)教会は集まり毎にとこどこの教会と呼ばれます。私たちが"教会の建設"ということを目指す
           
          とき、『目に見える教会の建て上げをする』ことが課題であることを示しています。 
          「エルサレムの教会」(使徒8:1)
           
          
          「アンテオケ…にある教会」(使徒11:25〜26、13:1〜2)
           
          
          「アジアの諸教会」(コリントT16:19)
           
          
          「アクラとプリスカ(プリスキラ)…の家にある教会」(コリントT16:19)
           
          
          3.教会の「価値」
           
          
           教会は神の前にどんな価値があるのでしょうか。私たちは何かを手に入れようとするとき、そ
           
          のものの価値に応じた対価、商品なら代金を払います。神は教会を得るためにどのような対 価を払われたのでしょうか。それが神の目からご覧になった「教会の価値」を示しています。 
          ・「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)
           
          
           その代価は「血をもって」とも「いのちをもって」とも表現されます。いのちは血にあるのですか
           
          ら同義です。 
          ・「いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ17:11)同時にまた血は、単にいのちそのものと
           
          いうだけでなく、ほかの人の「いのちの贖い」を意味するのです。 
          ・いのちは全世界よりも価値があることを、主は認めておられました。
           
          
          「たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16:
           
          26) 
          ・しかしその全世界には、イエスを誘惑するほどの価値があったのです。
           
          
          「…悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて
           
          …『…これを全部あなたに差し上げましょう。…』」(マタイ4:8〜9) 
          ・神は世(から贖いだした教会)を、ご自分のひとり子の死と引き替えになさるほどに愛された
           
          のです。 
          「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)
           
          
          4.教会を構成する人々の出所
           
          
           教会を構成している人々がどのようなところから出てきたのか、考えておく必要があります。
           
          
          「あなたが切り出された岩、掘り出された穴を見よ。あなたがたの父アブラハムと、あなた方を
           
          生んだサラのことを考えて見よ。」(イザヤ51:1〜2) 
          「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって…罪の中にあってこの世の流
           
          れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩 んでいました。…肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い…。…異邦人でした。…無割礼 の者…イスラエルから除外され、約束の契約については他国人、…望みもなく、神もない人た ちでした。…」(エペソ2:1〜22) 
          5.教会はキリストのからだ、キリストの妻
           
          
          ・キリストは教会の頭(かしら)、教会はキリストのからだ
           
          
          「(サウロ=パウロよ)わたしはあなたが迫害している(教会のかしら)イエスである。」(使徒9:5)
           
          
          「教会はキリストのからだであり、…」(エペソ1:23)
           
          
          「…それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため出あり、
           
          …」(エペソ4:1〜16) 
          「…御子はそのからだである教会のかしらです。…」(コロサイ1:9〜22)
           
          
          ・キリストは夫、教会は妻
           
          
          「キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻の
           
          かしらであるからです。」(エペソ5:22〜23)「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして 言っているのです。(エペソ532) 
           夫婦は一つからだなのである。夫のからだは妻のもの、つまのからだは夫のものである。(エ
           
          ペソ5:28) 
          6.教会は神の家
           
          
          ・生ける神の教会、真理の柱、真理の土台
           
          
          「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」(テモテT3:
           
          15) 
          7.教会建設のための献身
           
          
          ・パウロの模範
           
          
          「…。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパ
           
          ウロはそれに仕える者となったのです。ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを 喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠 けたところを満たしているのです。キリストのからだとは教会のことです。…このために、私もま た、自分の中に力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」(コロサイ1:23〜 29) 
           「私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。」(テモテU1:1〜13)
           
          
           「…からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。…」(コリントT12:1〜31)
           
          
          8.まとめ
           
          
           今は新約の時代です。新約の時代の神の民は教会です。教会はイスラエルの地位を引き継
           
          いでいるのです。 
           イスラエルは神の民、神の王国でありました。そこに、預言者、王、祭司がいました。
           
          
           新約の時代には、教会に加えられたすべての民が、みな聖霊に満たされ、皆が預言者であ
           
          り、皆が王であり、皆が祭司であるのです。 
           ルターはカトリック教会の司祭制度に反対して「万人祭司」の教えを掲げました。
           
          
           聖書が示しているのは単に祭司だけでなく、「万人預言者」、「万人王」、「万人祭司」なので
           
          す。 
           私たちは、救われたら隣人への「救いの証人」、隣人にキリストを語り、隣人を救う働きをしな
           
          ければならないと信じています。それが「万人預言者」なのです。 
           C.E.ジェファーソンはその説教「教会の建設」の中で「王位の建設」というテーマを掲げてい
           
          ます。それは"「万人王」であれ"ということなのです。 
           信仰生活が長くなるにつれ、隣人の「とりなし手」、「取りなしの祈りを祈る人」であることが期
           
          待されています。それが「万人祭司」の中心的課題です。 
           預言者、王、祭司の働きが教会で全うされるとき、教会は真理の柱、真理の土台の役目を果
           
          たします。 
           聖潔はその中心的課題であって、聖潔こそがキリストの妻の身につけるべき飾りです。愛は
           
          その聖潔の花であり、実です。 
           私たちが「予言者」「王」「祭司」に相応しい神の聖きを持つ者でありますように。そして、キリ
           
          ストの妻と呼ばれるに相応しいものでありますように。  |