「同労者」第17号(2001年2月)
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れ、月日の流れの速さを感じますね。さて今週は詩篇12篇1、2節です。 「主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。人 は互いにうそを話し、へつらいのくちびると二心で話します。」
この詩はどの様な事情の中で作られたか分かりませんが、この世の人の不誠実、二心を嘆
きつつ信頼できる人々の居なくなった事を訴えています。確かに今の世は心を許して語り合え る人が少なくなりました。時には自分自身も言葉を使い分けている事に気づいてハッとさせら れることがあります。この詩はほこ先を人に向けて「誠実な人は消え去りました。人は互いにう そを話し、へつらいの唇と二心で話します。」と言っていますが、そのほこ先を自分に向けて私 の中に、へつらいや二心がないかどうか反省してみたいと思います。
他人を批判し攻撃していると気分がよく勝ち誇ったような優越感になりますが、その時、神さ
まの法廷では人を裁いている自分が減点され続けているのです。昔は「つるべ井戸」がありま した。片方の桶を引き上げると片方は反対に下がって行くのです。そのように人の罪、欠点を あげつらっている時、自分の魂は下に下にと降っているのです。よく人を指さす時、その中の 三本の指は自分を差していると言われます。
へつらい、二心は実は自分にもある事を覚え反省したいと思います。「さばいてはいけませ
ん。さばかれないためです。」と主イエスは仰せられました。キリストの高弟パウロも「あなたは 他人をさばくことによって自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っ ているから」と言い、同じくヤコブも「隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか」と鋭く問い掛 けています。私たちの希望は詩篇12篇8節の「悩む者が踏みにじられ貧しい人が嘆くから今 わたしは立ち上がる。わたしは彼をその求める救いに入れよう。」との主の御約束にあります。 人を赦し忍ぶことはさばきより遙かに勝れているのです。「あわれみは、さばきに向かって勝ち 誇るのです。」(ヤコブ2:13) |