「同労者」第18号(2001年3月)                        目次に戻る

証 詞

救 い の 証 詞
荒川聖泉キリスト教会  婦人伝道師  山本雅子


 私の生れ育った所は遠州森町です。小学校の修学旅行で名古屋へ行った時に"どこから来
たの?"と土地の人に聞かれたときに、"森町です"と答えたら"あっ森の石松の森町ね!"と言
われた私は、子供心に私のふるさとは森の石松のイメージで想像されるのかと、ちょっとがっ
かりしました。森町は山と森と川に囲まれた静で美しい町です。昭和25年にそこで生れまし
た。キリスト教との出会いはそんな森町へ昭和21年に嫁いできた母が最初です。母の婚家先
である私の実家では、二代に渡って子供は男の子ばかりの家庭でしたので、嫁に来た母は大
変かわいがられたそうです。かわいがられれば可愛がられるほど母は自分の心の中にあるみ
にくいものに悩みました。昭和26年にキリスト教の伝道集会があり(当時森町には教会があり
ませんでしたが)、母は心の悩みを抱えて出掛けて行きました。マタイ23:27―28「忌わしい
ものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓は
その外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あ
なたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」の御言葉によ
り、自分の内側をきれいにして頂たいと願い、その夜クリスチャンになりました。私は生後9ヶ
月でおぶわれて出席?していました。
 母は、自分が救われ変えられたという喜びで満たされ、子供達と共に集会に通い続けまし
た。それゆえに私は田舎の古い習慣や迷信などから守られ、(ペテロT2:18〜19)、神様がいら
っしゃることと神様を第一にする生活を教わりました。母自身の救いの体験のいきさつから、
母は私の心の中のことをいつも気にしておりました。マタイ5:8の御言葉、「心のきよい者は幸
いです。その人は神を見るからです。」この御言葉は毎日必ず目に入る所に何十年も掲げら
れていました。
 教会学校やその他の集会にも楽しく通っていました。10歳の時に教会の牧師先生が私を個
人的に訪れて下さいました。ヨハネ3:36「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に
聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」の御言葉を開い
て下さり、罪を悔い改めてイエス様を信じて永遠の命を頂くというお話をして下さったのです。5
人兄弟の2番目の私は、兄弟げんかも沢山していましたし、妹や弟に関しても改めることが沢
山ありました。その時に思い出せるすべての事を先生に告白して、お祈りをして頂きました。永
遠の命の約束と死の恐怖から解放された喜びは今でもよく覚えています。
 私の小学生の頃は、今から40年も前の事ですから、貧しくて物も豊ではありませんでした。
元気な子供だった私は、なにも気にせずに、兄のお下がりのジーンズをはいていました。当時
は男の子と女の子は、はっきりと違う服装をしていたのです。「平気じゃん」と思う女の子のほう
が少なかったのです。
私の母は真面目で几帳面、そしてきれい好きな人でしたから、家の中でも色々と決まりごとが
多く、細かい事まで注意をうけていました。私はいつも、「平気じゃん」と思っているような子供で
したから、注意をされても左から右へとぬけていきました。ところが小学校6年から中学に入る
頃、その事が突然うるさくていやになったのです。色々注意されるとかーっとなり、言葉や態度
で反抗にでました。それだけでは満足できずに妹や弟たちにもつらく当たりました。ロマ7:15
―25「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているの
ではなく、自分が憎むことを行なっているからです。・・」を読んで見てください。母はやさしく、一
生懸命であり、いつも祈ってくれていたので、私は母の事が大好きでした。母の言っていること
に気持ちよく「はい」と言えたらどんなにいいかと願いながら、出来ない自分をどうすることも出
来ませんでした。まさに15節の御言葉どうりでした。
中学1年も終わりに近ついた3月、教会で受難週を覚えて一週間の連続の祈祷会がありまし
た。自分ではどうすることも出来ない心をかかえていた私は毎晩、すいよせられるようにして、
家族の誰よりも先に集会へと真っ暗な田舎道を自転車で一目散に走りました。五日目の夜、も
う一度、イエス様の十字架のお話を聞きました。「もし私が自分でしたくないことをしているので
あれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」20節。 私の
悩みは罪ゆえであり、その罪は私のわがままであることを知りました。私は泣きながら、この罪
から私を救って下さいと祈りました。そしてその夜、家族の前に手をついて、今まで自分がわが
ままであったことをおわびしました、私の心は静になり、安らぎを与えられました。「したくないこ
とをしてしまう」自分に対する苛立ちから解放され、自由になりました。その体験は今も色あせ
ることなく私の力の源です。神様を愛しお従いして生きることは、私に、後悔のない充実した人
生を与えてくれると確信しています。救いの証しを書きながら、母のことを考えていました。十
八年前の二月八日に交通事故に遭い、二月十九日に召されました。当時4歳だった次女が今
年、母の記念日を覚えて、初めてしっかりと記念文集「キリスト我が内に在りて生くるなり」を読
み自分も祖母の信仰を受け継いでいることを喜びました。母はこの孫の為に買い物をしようと
して道路を横切り事故にあいました。いつでも自分の為ではなく「もうひとつあの人のために。
もうひとつあの子の為に」と熱く生きていた母を思いだしています。信仰に導いてくれた熱い思
いに心から感謝しつつ..



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