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          「同労者」第18号(2001年3月)
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           前回の私の当務の時に、教会に関する聖書の呼び方について学びました。今回は、その教
           
          会に誰かが加えられる時に行われる礼典、「バプテスマ」についての聖書の教えを学ばせて頂 きたいと思います。 
          1.バプテスマの歴史
           
          
          (1)ユダヤ人社会にあったバプテスマ
           
          
           聖書には記載されておりませんが、異邦人がユダヤ人社会に受け入れられる儀式として、バ
           
          プテスマが行われていたそうです。バプテスマのヨハネのバプテスマは、ユダヤ人に奇異に感 じられることなく受け入れられたように思います。 
          (2)ヨハネのバプテスマ
           
          
          「バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて言った。『悔い改めなさい。天の御
           
          国が近づいたから。』…エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネの ところへ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」(マタイ3:1〜 6) 
          (3)キリストご自身もバプテスマを受けられました。「こうして、イエスはバプテスマを受けて、…」
           
          (マタイ3:13〜17) 
          (4)キリストご在世時に、弟子達はバプテスマを授け、キリストもそれをよしとされました。「イエ
           
          スご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子達であった…」(ヨハネ4:1〜3) 
          (5)ペンテコステの日、ペテロの説教を聞いてキリストを受け入れた人々は、バプテスマを受け
           
          て教会に加えられました。 
          「そこで彼(ペテロ)のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。」(使徒2:37〜41)
           
          
          (6)パウロは回心の日にバプテスマを受けました。「するとただちに、サウロの目からうろこのよ
           
          うな物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受けた。」(使徒9: 10〜20) 
          (7)信じたサマリヤ人はバプテスマを受けました。「信じた彼ら(サマリヤ人たち)は、男も女もバ
           
          プテスマを受けた。…彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊が まだだれにも下っておられなかった…。ふたり(ペテロとヨハネ)が彼らの上に手を置くと、彼ら は聖霊を受けた。」(使徒8:5、12、14〜17) 
          (8)エチオピア人の女王カンダケの宦官は信じるとすぐにバプテスマを受けました。
           
          
          「ピリポは宦官にバプテスマを授けた。」(使徒8:35〜38)
           
          
          (9)コルネリオは家族と共にバプテスマを受けた。彼は異邦人がキリスト教(新約の教会)へ改
           
          宗する道を拓く者となりました。 
          「…そして、(ペテロは)イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼ら(コルネリ
           
          オとその家の人々)に命じた。…」(使徒10:1〜8、44〜48) 
          (10)使徒の時代、改宗者は皆バプテスマを受けました。
           
          
          ・ルデヤ「…そして、彼女(ルデヤ)も、その家族もバプテスマを受けた…」(使徒16:13〜15)
           
          
          ・ピリピの牢の看守「…彼(看守)とその家の者全部がバプテスマを受けた。…」(使徒16:31〜
           
          34) 
          ・クリスポとコリント人たち「会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリ
           
          ント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」(使徒18:8) 
          ・エペソの人々「これを聞いたその人々(エペソの人々)は、主イエスの御名によってバプテスマ
           
          を受けた。」(使徒19:1〜6) 
          (11)以降、聖書に記載されてはいませんが、教会はバプテスマを礼典として引き継いできまし
           
          た。 
          2.バプテスマの意義
           
          
          (1)バプテスマのヨハネのバプテスマの意義
           
          
          ・悔改めのため
           
          
          「私(ヨハネ)は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けています。」(マタイ3:
           
          11) 
          ・罪が赦されるため
           
          
          「罪が赦されるための悔改めのバプテスマを解いた。」(マルコ1:4)
           
          
          ・イエスを信じるため
           
          
          「パウロは、『ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔改めの
           
          バプテスマを授けたのです。』」(使徒19:4) 
          (2)イエスのバプテスマに関する言及
           
          
          ・これは正しいこと
           
          
          「イエスは答えて言われた。『今はそうさせて(バプテスマをヨハネがイエスに授ける)もらいた
           
          い。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、私たちにふさわしいのです。』」(マタイ 3:15) 
          ・水と聖霊によって生まれる(新生の確認)「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国
           
          にはいることができません。」(ヨハネ3:5) 
          (比較)
           
          
          「水のバプテスマと聖霊と火のバプテスマ」(マタイ3:11)
           
          
          「水のバプテスマと聖霊のバプテスマ」(マルコ1:8)
           
          
           聖霊と火のバプテスマはペンテコステの日に実現しました。(使徒1:5、2:1〜4)
           
          
          「イエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。…そしてあかしする方は御霊です。」(ヨ
           
          ハネT5:6〜8) 
          ・ヨハネのバプテスマは天(神)の権威による
           
          
          「ヨハネのバプテスマはどこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか。…」(マ
           
          タイ21:23〜27、マルコ11:30、ルカ20:4) 
          ・バプテスマを受けた人々は、神に関する事が正しく把握できました。
           
          
          「ヨハネの教えを聞いてたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の
           
          正しいことを認めたのです。…」(ルカ7:28〜29) 
          ・主の弟子たちへのご命令
           
          
          (マタイ28:18〜20)
           
          
             弟子にする。
           
          
             バプテスマを授ける。
           
          
             イエスの言葉を守るように教える。
           
          
          ・イエス・キリストの死に合わせられる。これが真のバプテスマの霊的な意味です。「わたし(イ
           
          エス)には受けるバプテスマがあります。」(ルカ12:50) 
          「わたし(イエス)の飲もうとする杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けることができ
           
          ますか。」(マルコ10:38) 
          (3)ペテロのバプテスマに関する言及
           
          
          ・ノアの箱舟はバプテスマの型です。「そのこと(ノアと家族が箱舟によって救われたこと)は、
           
          今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取 り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」 (ペテロT3:18〜22) 
          (4)パウロのバプテスマに関する言及
           
          
          ・紅海を渡ったことはバプテスマの型です。「そこで、兄弟たち。…私たちの先祖はみな、雲の
           
          下におり、みな海を通って行きました。そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け …」(コリントT10:1〜4) 
          ・キリストとともに死に、キリストとともに生きることです。
           
          
          「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受け
           
          た…。…キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは …キリストが…使者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをす るためです。…罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなく…罪から解放 されているのです。」(ローマ6:1〜7) 
          ・キリストの死と復活に合わせられることです。
           
          
          「死者のゆえにバプテスマを受ける(キリストが復活をしないなら、そうなってしまうが、キリスト
           
          は復活されたのだからそうではないの意)」(コリントT15:29) 
          「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たので
           
          す。」(ガラテヤ3:27) 
          ・聖霊の一つのバプテスマによる教会の一致
           
          
          「一つの御霊によってバプテスマを受け、…」(コリントT12:13)
           
          
          「バプテスマは一つです。」(エペソ4:3〜5)
           
          
          3.バプテスマに関する諸教会の見解
           
          
          (1)カトリック教会
           
          
           人の如何に関わらず、祭司がバプテスマを授ければ救われるとします。
           
          
          (2)ツウィングリ
           
          
           これはキリストの死に与る"象徴"である。主の記念として行うものとします。
           
          
          (3)ルター
           
          
           人が教会に継続的に帰属する証であって、救いに不可欠なものであるとします。
           
          
          (4)カルビン
           
          
           バプテスマは救いの象徴ではあるが、礼典としての恵みを伴うとします。
           
          
          (5)ウェスレー
           
          
           カルビンとほぼ同じです。
           
          
           バプテスマを大切な恩寵の手段と認めます。
           
          
          (6)救世軍
           
          
           バプテスマは救いの教えを示す型であって礼典として執り行うべきものではない、とします。
           
          
          (7)バプテスト派
           
          
           バプテスト派の論点は、その霊的意味合いが何であるかを問うよりも、"方法"(バプテスマの
           
          やりかた)に論点があります。 
           ・「浸礼」(全身を水に沈める方法)でなければバプテスマと認めません。
           
          
           ・成人に対してのみ執り行います。
           
          
          4.私たち(聖泉連合)の見解
           
          
           私たちは、以下のような見解に立っています。
           
          
          1.バプテスマには、キリストの死と復活に与る象徴的な意味があります。
           
          
          2.私たちがバプテスマに与るとき、神はその人の信仰を固くし、礼典に伴う恵みを与えなさいま
           
          す。 
          3.教会に加えられる儀式として採用しています。
           
          
          4.子供の受洗については、例え子供であっても本人が年齢に相応の信仰を持ち、バプテスマ
           
          に与ることを望むならば、これを授けます。 
          5.儀式の方法としては、浸礼、滴礼いずれをも認めます。
           
          
          6.これは授けられる人の信仰告白です。
           
          
          <本日の学びのまとめ>
           
          
           私たちが水のバプテスマにとどまるのではなく、聖霊によるバプテスマを受けることを期待さ
           
          れていることが、聖書に明確に記されています。 
          「ヨハネは答えて言った。『私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなた方
           
          の知らない方が立っておられます。』『…その方こそ聖霊によってバプテスマを授ける方であ る。』」(ヨハネ1:29〜34) 
           ですから、聖霊のバプテスマを授けて頂けるよう信仰に進みましょう。
           
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