「同労者」第18号(2001年3月)
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て、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリントU5:17)
1月14日の夕方、柿沢ちよさんという一老婦人が93才と5ヶ月の生涯を走り抜いて天国に
召されていきました。聖書に「生徒の死は実に尊い。」とありますが、実に見事な凱旋でした。
その日の午後、私はいつもの週1回の訪問のため老人ホームを訪ねました。約一時間の語
らいの中でも、いつもと変わりなく元気なおばあちゃんでした。自分の足でトイレにも行ったし、 同室の人々にも相変わらずやさしく声を掛けたり、お祈りにも「アーメン。感謝します。」と和し たりしておりました。
「それではまたね。」という言葉に「ありがとうございました。」と笑顔で手を振ってくれた、その
おばあさんが、私が家に戻る途中で、眠るように召されたのです。家に戻って一息ついている ところへ電話が入りました。「柿沢さんが倒れましたので直ぐ病院へ行って下さい。」と。
私が病院に駆けつけた時は既に柿沢さんは御国の人になっていました。柿沢さんは人間的
には孤独で淋しい人生だったのですが、信仰ひとすじに生きて来られた人でした。よく祈った 方、よく献げた方、よく集会を重んじ、牧師を尊敬してくれた方でした。
私たちは恵まれた生活になると反対に心はおろそ疎かになりやすいものです。孤独や貧しさ
という人生の苦しみは却って心を素直にさせるように思います。
天国に帰った柿沢さんは唯一人の息子とも音信不通であり、身内親戚もあって無き人間的
には気の毒な方でした。しかし、この世の孤独を神は埋めて下さいました。多くの信仰の友が 柿沢さんの周りにいました。神を隠れ家とされた柿沢さんは聖書と祈り、そして讃美に明け暮 れる生活をしており、週二回の祈祷会、礼拝に座れるのを楽しんだ方でした。その穏やかな温 顔と上品な香りは、長いクリスチャン生活を現しているようでした。
「ありがとう。」と手を振った最後の笑顔が忘れられません。身許引受人である私は、喪主と
司式をして教会の墓地へ埋葬しましたが、涙一滴もありませんでした。良く走り抜いてくれた、 と拍手をもって告別したことです。そして思いました。「クリスチャンの死ってすばらしいな。」と。 厳しいけれども澄んだ冬の空を見上げつゝ、私はこんな句を作りました。
「凱旋にふさわし召天冬の晴れ。」
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