「同労者」第19号(2001年4月)                          目次に戻る 

論  説
 ― 主の復活の意義を把握しよう ―

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、ま
た、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現
われたことです。・・もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あ
なたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。・・キリストは、眠った者の初穂として死者
の中からよみがえられました。」(コリントT15:3〜5、17、20)


 今年は4月13日が主の十字架と葬りの日、15日が復活の日とされています。この節季にあ
たり、主の受難と復活を覚えさせていただき、私たちの信仰を確かなものとさせていただきた
いと思います。
 コリント人への手紙第一の十五章において、パウロはキリストは私たちの罪のために死な
れ、葬られ、復活されたということを述べ、当時死者の復活を疑う人々がいたため、キリストの
復活の事実は私たちが死から復活させていただく保証であることを強調しています。そして「も
しキリストがよみがえらなかったなら、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいる」と述べて
います。キリストの復活が私たちの贖い、罪の赦しの保証でもあるのです。
 キリストの復活にはもう一つ大切な点があります。それは「キリストは、眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。」とパウロが述べていることに関します。私たちはやがて神
の前に立つときには、それが死んだ後であれ、ご再臨によって生きたまま主の前に立つので
あれ、この地上の体を脱ぎ捨て霊の体を与えられること、すなわち栄化された体を与えられて
神の前に立つのです。
 キリストは復活する人々の初穂なのですから、続く人々はキリストの復活の様と等しいものが
与えられることを意味しています。私たちはわずかではありますが、復活された主の姿に、私
たちの復活のときの姿をかいま見ることが出来ます。
「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊
ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」(ルカ24:39)栄化された体は霊界に属
しますが、「体」なのです。
「イエスは、『ここに何か食べ物がありますか。』と言われた。それで焼いた魚を一切れ差し上
げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」(ルカ24:41〜43)私たちは天国にお
いても食べることができる。地上では生きるために必ず食べなければならないのですが、恐ら
く天国においては、必ず食べなければならないということはないでしょう。
 復活されたイエスの手には釘の跡、脇腹には刺し傷がありました。私たちも地上の生活の跡
を天に持っていくのです。


目次に戻る   表紙に戻る