「同労者」第19号(2001年4月)
目次に戻る
![]()
11月14日(金)
早朝6時、緑バプテスト教会で同行の河野、岡野両牧師と合流し、直光運転の車で一路、名
古屋市内を縦断して名古屋空港に向かう。岡野牧師とは初対面である、とは言っても彼は潔 の友人なので、名前だけは耳にしていた人物であったが、初対面の印象は"髭面の男"であっ た。7時空港到着。ここで団長の後藤師と小森師、梶夫人、木の内姉らと合流。国際ロータリ ー社員の案内で全日空機搭乗。始めての搭乗で少々興奮気味である。いい年をして浮き浮き するのは大人げないが、元来好奇心の強い自分の感情を抑えるのは困難である。徐走して滑 走路へ、いよいよ離陸。椅子に体を預け窓外を見る。急速、猛速、そして機体に離陸の衝撃を 感じ"ふわぁ"と浮いたと思ったら、ぐんぐん急上昇する。見慣れた小牧の町、東名道路がみる みるうちに足下に広がる。「ああこれが飛行機の感覚なんだな」と自分に言い聞かせてみた。
名古屋の市街を忙しく目で追う……浜名湖、金谷、島田の上空、生まれ故郷の藤枝、高草
山、切ないような興奮でカメラを向け、飽きなく窓外を見続ける。足下には打ち直した綿のよう な雲海がじゅうたん絨毯のように広がっている。ちょっと下りてみたいような思いも……ロマン チックだ。
富士山は流石だ。名古屋空港を出てからずっと視界から離れない。絶えず優美な姿を雲上
にのぞかせている。第二次世界大戦の頃、アメリカの攻撃目標の指針とされたのは無理もな いとしみじみ思わされる。
成田に到着。時間が余るため、荷物を預けて荒川へ。ちょうどお昼頃で、おばあさんの招待
のお寿司を御馳走になった。午後すこし横になり4時すぎ、辞退するのを押し切っておばあさん が上野駅まで送ってくれた。成田で全員合流後、班編成があり、名簿の順で私は2班になり推 薦で私が班長にさせられた。班長の責任は旅行中の人員確認である。ナオミコミニュケーショ ンの下川師、ガイドの河谷氏ほか全員35名。夜の成田を離陸した。私の座席は窓際に恵ま れ快適である。30分後、機内TV表示板は時速・高度・外気温と現在の飛行地を交互に写し出 す。離陸後3−40分頃の表示は1,115k/h 8,500m -30度とあり地図は ![]()
となっている。私の時計で(日本時間)15日の午前3時を指しているが到着したアラスカのアン
カレッジ空港では14日の午前8時58分と言う。実質6時間、飛びながらも時差の事情で17時間 も逆戻りした計算になるらしい。アンカレッジ空港は日本人が多く見られ外国である事を暫し忘 れさせてくれる程だ。私は剥製の大きな白熊を背景に一枚パチリ。みぞれ空の空港展望台か ら荒涼とした氷原や建物また自分の搭乗機にもカメラを向ける。目につくのは小型飛行 ![]()
機がたくさん待機していることだ。辺鄙な荒野にあるため車を足として使うためだろうか。曇天
のためか、なんとなく薄暗く寒々とした感じだ。給油を終わって4時30分、みぞれのアンカレッジ を飛び立つ。これから北極・スエーデン・ドイツを経てスイスのチューリヒへ向かうわけだ。この 間、9時間30分を要するとのことだ。
機内は静かなエンジン音のみで空はあくまで青く足下の雲は微動だにせず、あたかも機自体
も停止しているような錯覚を起こす。地表を覆う雲、雲の上の青空、それは私の心を創世記1 章の創造の業に導いてくれる。よしや、地上は荒天であろうとも雲上はどこまでも平和で静か である。
北極は私の時計で6時30分だが早や薄暗く夕方の感じである。カメラで何枚か氷原の原野を
写す。36枚どりの1本目を終わり2本目のフィルムを入れる。進路の都合で再び夜に突入する らしい。午前9時30分現在、機内は静かに寝静まっている。2−3人が豆電球の下で読書してい る他は、シーンとしている。せめてこんな時ぐらい心を静めて霊想をと思っても中々それらしい 思いに導かれない。人間という者は外側の変化はあっても魂の内側にまでその影響が及んで くるのは難しいらしい。結局人の魂は信仰による砕けた心をもって神の聖前に自らを差し出す 以外にない事を思う。
長い夜が明け始め機内の表示板でチューリヒに近い事が告げられ、やがて静寂を破って機
内放送で「ベルト装着」のアナウンスがあり、機内は次第に騒然となってきた。
(つづく)
![]() |