「同労者」第19号(2001年4月)                         目次に戻る 

聖書研究

仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1992.7.14 から
聖霊について(第1回)

仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄


 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」(使徒19:2)

 よく「神との出会い」と言います。多くの方が、救われて「イエス・キリストとの出会い」をしまし
た、と証詞されます。今回取り上げましたのは、"聖霊にお会いする"ということです。こんな例
をとりあげてみると、聖霊にお会いするということの意味合いがよく分かると思います。私の家
で開いている家庭集会に、井上さんというご婦人が出席しています。南吉成にあるルーテル同
胞教会の方ですが、大変信仰熱心な方で私どものよい協力者になって下さっています。そこ
で、皆さんの中で、その井上さんに一度お会いしたいと思われる人がいらっしゃるでしょうか。
もしいらっしゃったら、私がご紹介しましょう。これは、例話として言っているのです。「ではそうし
ましょう。」と、相談がまとまったならば、約束した方はきっと井上さんに会えると思うでしょう。ま
さか「井上さんなんていないよ。」と思う方はいないと思います。そのように、皆さんに聖霊をご
紹介し、聖霊にお会いして頂きたいと願っています。つまり、紹介者が備えなければならない欠
くことの出来ない要件は、紹介者自身がその方を知っていなければならないことです。その知
るということが、テレビで見て知っているとか、本を読んで知っているとかだけではだめなので
す。私たちは、ジャイアンツの原を知っています。ヴェルディの三浦を知っています。それはマ
スコミを通じて知ったのです。では、「一寸、原さんをあるいは三浦さんを紹介しましょう。」と、
言えるでしょうか。紹介できるということは、紹介する相手が、こちらのことを知っていて、こちら
の要望に沿って行動してくれる間柄でなければならないのです。ですから、単に聖書を読んで
聖霊について学んだだけでは、聖霊の紹介者にはなれません。聖霊を受けていることが、聖
霊を紹介する人に欠くことのできない要件なのです。
 聖書研究会の際には、私の聖霊にお会いした個人的経験について証詞しましたが、詳細は
省略し項目だけをご紹介しておきます。
・「新生」(ヨハネ3:1〜6)と「聖霊の内住」(ロ
  ーマ8:9)の経験
・「聖霊を憂えしめた」(エペソ4:30文語訳)、
  口語訳では「悲しませた」経験
・「御霊を消した」(テサロニケT5:19)経験
・「潔め」(テサロニケT4:7)と「聖霊の満たし」
  (使徒10:44)の経験
・「聖霊の豊かな満たし」(エペソ3:19)の経
  験
 これらは時の経過とともに経験させて頂いたものです。御霊を消すとは恐ろしいことで、知識
はそのままあるのに、神を恐れないことを平気で行ってしまうことができるのです。潔めととも
に、神は私に「自由」すなわち「解放された心」(ガラテヤ5:1)と「キリストの平和」(コロサイ3:15)を豊に
下さいました。経験はその時だけのものでなくその状態が続くものです。
 聖霊を紹介して貰うためには、紹介して貰う側にも備えなければならない条件があります。そ
れは、イエス・キリストによって罪を赦されていることです。
 間違えやすいことは、まず聖霊に関する知識を得ようというところに力が入ってしまうことで
す。最初の例に上げた、井上さんに会うために彼女について沢山の知識を持つ必要があるで
しょうか。井上さんに会えば彼女に関する知識が得られるのです。親しく御交わりできれば、時
とともにその方についての知識は深くなり、広くなるでしょう。聖霊についてもそのとおりです。
聖霊を受け、聖霊と親しく交わり、聖霊によってこの信仰生活を歩むとき、その慈しみ深いお
方であることを知ることになります。
 聖霊のお導きは、信仰生活の大切な部分であって、教会における先生の指導とともに働くの
です。私の経験を述べさせて頂きますと、聖霊が語られることと先生のご指導が食い違ったこ
とは一度もありませんでした。誤ったことを御心を示されたと言い出すようなことを恐れるあま
り、聖霊の教導を否定すると熱く神を愛する信仰を失います。教会の秩序の中で牧師や兄弟
姉妹から教えられることと聖霊の直接のご指導は両方とも必要なのです。
 今は、聖霊が地上におられます。聖霊はキリストの霊であられて、イエスが「私を見たものは
父を見たのです。」(ヨハネ14:9)と言われたように、「聖霊にお会いしたものはイエスにお会いし
た。」のであり「聖霊を受けたものはイエスを受けた。」のです。
 仙台教会の聖書研究会で、聖霊について以下の項目を学ばせて頂きました。質疑や先生の
コメントを加えて整理しながら、順次ご紹介します。表題を読んで頂けばどのような内容に取り
組もうとしたか、その大筋の流れを把握して頂けると思います。


1992.7.14
.聖霊に関する聖書の教え
 聖霊は人格であること
 聖霊は神であること
 聖霊は、父なる神、子なる神と区別
        されるお方であること。
 聖霊がなされること(聖業)
 聖霊のバプテスマとは何か
 神の言葉と聖霊の働きの関係

1992.8.25
・聖霊の神的属性に関する補遺
・聖霊に関する聖書の教え補遺
 聖霊の業について
 聖霊のバプテスマ補遺
   
1993.3.16
・キリストの霊
  聖霊とイエスの御生涯との係わり
  イエスを信じる者の受ける御霊
  クリスチャンの初穂としてのイエス
  アンドリューマーレー「キリストの霊」から

1993.7.20
・聖霊とパウロ
 福音展開におけるパウロの位置づけ
 パウロの個人経験
 J.ストーカ-「パウロ伝」から
 聖霊のお働きに関するパウロの教え
 パウロの自分に対する考え

1994.2.22
・聖霊と教会
 教会の成立と聖霊
 教会と聖霊の関係
 教会に対する聖霊の指導
 聖霊による兄弟間の一致

1994.8.30
・聖霊の賜(いやし)
 イエスがキリストである証拠として
              のいやし
 罪と病気の関係
 教会時代の人々に対する神のお働き
 神癒を強調する人々の論点について

1995.4.25
・聖霊の実(結実)
 結実についてのイエスの教え
 結実に関する使徒たちの教え
 結実に関する実際面

1995.8.29
・聖霊の実(愛)
 愛
 





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