「同労者」第20号(2001年5月)                        目次に戻る

証 詞

救 い の 証 詞
盛岡聖泉キリスト教会  牧師  ベニヤミン中野直文


 私が初めて教会に行ったのは、昭和34年11月1日と記憶しています。荒川教会の伝道会
が、日曜日夜行われていました。天国と地獄の話が山本牧師によってなされていました。イエ
ス様を信ずれば天国、信じなければ地獄に入る、というものでした。集会後、イエス様の福音
を聞かないで死んだ人はどうなるのか、と、隣にいた信者さん質問しました。明確な返事はあり
ませんでしたが、「教会は一生懸命伝道している」というものでした。
 翌日学校に行く道すがら集会に行ったことを後悔していました。しかし、次週の日曜日の集
会に行ったのです。そして半年間、毎週のように集会に足を運んだのです。その間イエス様を
信じたい人は手をあげて下さい、との招きがありましたが、拒否していました。「私は信者にな
るために教会に来たのではない」との思いを抱いていました。併し聖書の話を否定する気持ち
もありませんでした。聖書は真理であると考えていた様です。「この話を否定することは男らしく
ない」との思いが強く考えを支配して来るのです。「自分をここまで育ててくれた祖母に申し訳な
い」との思いも起こってきました。「今度招きがあったら信じることにしよう」との考えが出てきま
した。そして翌年の5月の特伝でそのチャンスがきました。招きに応じて手を挙げました。翌日
の伝道会で洗礼を受けました。
 神は私が救われるために、私の人生の初期に幾つかのことをされたと思います。一つは両
親が早く亡くなったことです。父親が一才の時、母親が小学一年の時でした。これは最も大き
な原因とおもいます。私の心を砕いたからです。第二は父親の影響か小さい時から文学好き
で、学生時代は文学青年でした。そしてドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」との出会いが
あり、主人公が私の将来に夢を与えました。
 祖母の死も大学1年の私の心に神の愛を求めさせる力となりました。
 又、荒川教会が私の親類のすぐ近くにあったことと、東京の大学に入学出来たことも神の摂
理と考えざるを得ません。入学困難と思っていた学校の入試が不思議にやさしく自分に出来る
ものが沢山あったのです。荒川教会は毎週路傍伝道をしていたのです。明確な悔改めの時も
献身のときも私を導く人が現れたことも非常に不思議でした。神の選び、神の摂理を信じなくて
は考えられない出来事でした。あれからもう42年が過ぎました。
 



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