「同労者」第20号(2001年5月)                目次に戻る

巻頭言
− ゆだねられた良いもの − 
仙台聖泉キリスト教会   山田 大

「あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」
(テモテU1:14)


 いわゆる「中年」と呼ばれる年齢にすでに達しており、信仰生活も結婚生活もそれなりの長さ
になって来ております。未信者の世界を見渡すと、この年齢の人々は守るべきものを非常に多
く身につけ、特にこの経済状況の中で、趣味を持つでも健康を大事にするでもなく、ましてや人
生の意味といった問題を考えるでもなく、保身と何とか日々食べていくことを優先するかのよう
に見受けられます。しかしそのような中にあっても、クリスチャンとして教会に生きる私達には、
「目に見えないもの」を大切にすることを日々繰り返し教えていただける素晴らしさを思います。
自分でも嫌になるほど歩みの遅い者ですが、大切にしなくてはならないもの、力を入れなくては
ならない事柄が少しずつ見えて来ているように思われます。
  私達の教会の中でひとつの大きな柱とされている事柄に「信仰の継承」という問題がありま
す。親から子へ、先を行く者から後に続く者へ、同質の信仰が途絶えること無く受け継がれて
行くことをとても大切にしています。
  私の家庭では子供達はまだ小さく、親の言うことを疑うという様子はまだ見受けられません。
教会は楽しいところであり、イエスさまが大好きです。私が子供の頃もそうでした。自分の人生
を振り返ってみるにつけ、子供達がこのままスムーズに行くとは思えませんが、子供の頃の神
様と教会に対するイメージはその後の自分に大きく影響して来ました。今思うと幸いだったこと
は、子供の頃家庭の中で両親の口から教会や牧師先生を悪く言う言葉を一度も聞いたことが
無かったことです。両親が先生方を信頼し、従い、委ねて来たように、私自身も多くの困難が
予想されるこの子供達の問題を一つ一つ先生方に信頼し、従い、委ねつつ乗り越えさせてい
ただきたく願っております。それは、勿論神が自分達の群れに導き手として先生方を置いてく
ださったということだけで十分なのですが、私達と一緒に信仰を継承して行こうとしておられる
私達の教会の若い牧師先生は私達が育まれて来た先代の道を知り尽くし、それだけでなく御
自分もその道のために困難にぶつかりそれを乗り越えて来た故にそこに自分自身を明け渡し
ておられるからです。
  もう一つの事柄、教会の中で先を行く方々の荷って来られた荷を受け継がせていただくという
事については、能力や目に見えるようなものではなく、やはり長い年月をかけてどのくらいそこ
に自分を明け渡して行けるか、が勝負になるのだと思います。 子供の問題も、教会の荷を荷
う問題もどうしてもそこにきよめが必要になってきます。神の御手におちいり続けることをやめ
てしまわないように、注意深く歩み続けたいと願っています。それは狭い道です。救いを受け天
国へ入って行く道も狭いのですが、この目に見えない闘いを勝利する道も狭い道です。教会が
そこに立ち続ける限り、ともに歩み続けさせていただきたく願います。
  中年の時期は、今まで人の後ばかりをついて来たのが自分も独自性を発揮しようとし、それ
故に様々な価値観が入りこんでくる時期でもあり、あたかもそれが素晴らしいものであるかの
ように近づいてきます。けれども真に大切な道を見極める目を持ち、間違うことなく進みたく願
っております。
  「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを
選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)
 



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