「同労者」第20号(2001年5月)                          目次に戻る

聖書講義

 − 昨日のサムエル記 (その14) −
 仙台聖泉キリスト教会  牧師   山本 嘉納

  私の生活がここ1、2年で大きく変わった。一番大きいことは毎週の礼拝の講壇を守らなけ
ればならなくなったことである。もちろんそのために召され、多くの時間と経済を投じて準備が
なされて来たのである。教会がどこからか牧師を招聘し、教会の建設のためにその牧師と方
針ややり方などを同じにしたり、それぞれの相性や癖などを乗り越えて神の召命と導きを信じ
て従っていったりすることは決して簡単ではない。
 36年前、父は2年と言われてここ仙台教会に私が3歳の時、盛岡から赴任して来た。
 私たちの仙台聖泉キリスト教会は昭和26年にイムマヌエルによって開戦がなされできた。1
4年経って送られて来た父はとりあえず次の牧師が決まるまでのつなぎのような者だったらし
い。しかし、彼は彼なりに牧会に専念した。色々な障害があったようだが信念を持って取り組ん
だのである。それまで会堂ではなく牧師館の食堂でもたれていた祈祷会を会堂に戻した。それ
では会堂が広すぎて席が上手に埋まらない。そこで導かれたことはそれまで家で留守番させら
れていた子供たちを連れて来る事であった。当時一家に2、3人はいたのであるから祈祷会の
出席者数は急増した。わからない子供にただ座っていろというのはどんなものだろうかという
批判はあった。子供で数を水増しするのはけしからんとの叱責も受けた。しかし、牧師の子供
であり自らもわからないうちからその席を占め続けていた父は子供に対する宗教教育の重要
さと訓練の尊さを十分知っていたのである。
 約束の2年が過ぎても父の任命は変わらなかった。仙台教会の教勢と財政が祝福されてい
たのでもう少し様子を見ることになったのであろう。子供たちの出席と彼らの集会献金はきち
んと記録され本部に届けられていたのである。
 そんな状態の中、昭和44年に山本岩次郎師を中心にイムマヌエルからの離脱がなされ、仙
台教会も包括法人に反対して離脱に同意した。2年と言われた牧師はそれから実に36年間
ひたすら神に忠実であることを信念に牧会一筋に励んできたのである。
 色々な混乱と困難を乗り越えて牧師と信徒が教会建設に一丸となって戦ったのである。その
中でたくさんのことが神によって許され試みられてきた。その一つが、教会が次の牧会者を生
み出し自らの手で育てることである。よそから招聘するのではなく自らの教会で生まれ育った
魂を任命するのである。確かに一長一短はあるが大きな混乱を招かないですむ。それだけで
なく新しい牧会者になじむために払われる多くの労を節約して違うものに用いることができる。
これは決して小さい労ではない。
前置きがだいぶ長くなってしまったが、ダビデにとってサウル王から自らに王位がどのように継
承されるのだろうかという答えの見えない問題に彼はずいぶんと困惑させられたことだろう。そ
の時々で態度を変える人格を理解するのは難しい。確信に満ちた態度で告白しても次の瞬
間、別な事を平気でするような者をどのように扱えばいいのであろうか。サウル王を恐れてペリ
シテの地に逃れたダビデの心境はサウルの死をもってのみ達成される王位継承に絶望したか
らであろう。少なくとも自らの手をもってはそれを実現できないのであるから逃げおおせるしか
道はない。「ダビデは心の中で言った。『私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされる
だろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエ
ルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。』」(サ
ムエルT27:1)
 聖書は読者に親切である為にダビデの取った行動が神に御旨に沿ったものかそうでないも
のかを明らかにしようとしている向きがある。それでこの章には神という語が一度も出てこな
い。そこで私達は彼のペリシテへの亡命が不信仰からのように簡単に裁いてしまう。
 確かに神の前に立てば人間は無罪ではいられない。その時の個人と神との二人だけの領域
に誰も立ち入ることは出来ない。大切な岐路に立たされて神の御心を仰がなければならない
のは当然であるが、悠長にしていられない時に限ってすぐに答えは与えられないものである。
亡命に走ったダビデを不信仰と決め付けるよりは、彼の全存在がそうすることを彼自身に促し
たと考えた方がこの場面とダビデを理解し学ぶのに有益である。人間の限界は与えられた知
識、知恵、経験と訓練などによって決まるものである。そこまでどのように生きてきたかによっ
て大体、その人物のその時点での働きは見える。このピンチの中でダビデは信仰云々ではな
く彼自身の限界を迎えていた。神の訓練は彼をそこまで追い込み完全に明け渡さなければな
らないほどにした。テストを受けて100点を取るよりも落第点を取って自らの不足と限界を知り
尚一層の努力と学びに自らを入れることが大切であるのと同様ダビデはこの試験に落第しな
ければならなかった。
 彼のペリシテでの亡命生活は彼自身が自らの手で勝ち取ろうとする王位からどんどんと彼を
遠ざけたのである。彼はそれを神によって譲り受けなければならなかったのである。彼はペリ
シテ連合国の一つ、ガテ王マオクの子アキシュのところへ行き願いツィケラグを自らの町として
与えてもらった。これにはさすがのサウルも手出しできなかった。
 ダビデは自らの亡命生活を確実なものとする為に奮闘した。異邦人の町を襲い戦利品を持
ってアキシュのところに行きイスラエルを襲って奪ってきたかのように欺いた。それで「アキシュ
はダビデを信用して、こう思った。『ダビデは進んで自分の同胞イスラエル人に忌みきらわれる
ようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべになっていよう。』」(サムエルT27:12)
 彼の作戦は成功しひとまずピンチを脱したかのように見える。「ほかに道はなかった」と言う
彼の判断もまた正しかったかようである。しかし、いかにもいつ崩れるか判らないつり橋の上を
歩いている姿に見えるのも事実である。この時、彼は自分ではどうすることも出来ない現実が
そうさせているのだと言うことで安んじようとしている。彼の「ほかに道はない」という判断に神
が含まれていたか否かは判らないがこれが人間の限界の現実である。後は黙って神の哀れ
みを仰ぐのみである。この時、ダビデは迫っている大きな危機を知らない。彼自身が選んだ道
が彼の王権継承を危ぶむものになろうとは。若いダビデが積まなければならない訓練はまだ
まだ続きそうである。




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