「同労者」第20号(2001年5月)
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ショートコラムねだ では、全米2年連続ベストセラーなのだそうだ。最近日本でもその訳本がベストセラーになった と新聞に広告されている。 内容は3つの段落で構成されているが、はじめの段落にこんなことばが出ている。 「変わるということは失うことではない。得ることである。」と。 この本の著者のいう変わるという意味は、例えば、会社の中で営々とやって来た仕事を突然 解任されて別の部署に配属された、とか、配置転換だけでなく失業した、とかいうことを指して いる。 通常そのような場合に人は"失った"と感じる。しかし、それは失ったのではない変わったの だ、変わると別なものが得られて人は幸せになるのだ、と主張されている。 この世の教えとして、そうだ、そうだ、と考えても、そんなにうまくはいかないにちがいない。失 ったものに変わるだけの新しいものが、そう容易くは得られないからだ。 この世の人がクリスチャンになる、というとき、おおいに変化がある。キリストは、この世のす べてを失うことをよしとしなければわたしの弟子にはなれないと主張された。クリスチャンになろ うとすると、ある意味でこの世を捨てることになる。この世の楽しみ、交友、友達はおろか時に は親が反対するなら親も捨てなければならないし、子が反対するために子を捨てなければなら ない場合もあろう。 この世の友を積極的に捨てなくても、クリスチャンになると生きている世界が変わって、この 世の友とは一緒に歩むことはなくなるのが常である。 しかし、人生をこの世からキリストのもとに変える人は、「チーズはどこへ消えた」の著者の主 張にまさって、多くを得ることになるであろう。 「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていて くださいます。 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。 私は助言を下さった主をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右 におられるので、私はゆるぐことがない。 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」 (詩篇16:5〜9) この詩篇に記されている恵みは、この世を失った人のみが得ることのできる幸いである。 |