「同労者」第20号(2001年5月)                          目次に戻る 

論  説
 ― 使 命 と 備 え ―

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の
御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守
るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにい
ます。」(マタイ28:19〜20) 
「イエスは彼に答えられた。『だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうす
れば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住み
ます。』」(ヨハネ14:16)
「イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待
ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマ
を受けるからです。』」(使徒1:4〜5)


 教会の暦では、今年は4月に受難週とイースター、6月初めにペンテコステがあります。従っ
て5月は、主がご自身が復活されたことを弟子たちに示された期間にあたります。
 イエスはご在世中、弟子たちにご自身が「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者た
ちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを」(マタイ
16:21)、何度も示されましたが、弟子たちはそれを理解できませんでした。それで、十字架と復
活を実際に越えられた後になってから、弟子たちにご自分が確かに復活されたことを示さなけ
ればなりませんでした。「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖
書を、まだ理解していなかったのである。」(ヨハネ20:9)と書いてある通りです。
 そのため、イエスが復活された朝、天使にイエスのよみがえられたことを告げられて報告に
戻った女たちのことばを聞いても、「ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、
彼らは女たちを信用しなかった。」(ルカ24:11)のです。
 「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差
し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20:25)と言ったトマスは特別疑い深い人物であ
ったのではありません。皆そうだったのです。
 イエスはご自身が復活されたことを示されました。そして、弟子たちに福音宣教の使命を託さ
れました。けれども、復活の主にお会いした後に、「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に
行く。』彼らは言った。『私たちもいっしょに行きましょう。』彼らは出かけて・・」(ヨハネ21:3)いってし
まいました。弟子たちの準備は復活の主にお会いしただけでは不足だったのです。
 主はもう一度ペテロをはじめ弟子たちに現れて下さり、授けられる使命を確認されました。(ヨ
ハネ21:15〜19)
 使命を全うするためには、助け主、聖霊を待ち望むことが必要でした。(ルカ24:49)

 私たちも与えられた使命を全うするために、この5月、その待ち望みを覚えさせて頂きたいも
のです。




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