「同労者」第20号(2001年5月)                          目次に戻る

信仰良書

 − 神 へ の 道  (13) −
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳


 (前号のつづき)ニコデモは不安な心を抱えてキリストのところへやって来ました。キリストは
彼に対して「あなたがたは新しく生まれなければならない」と言われました。ニコデモは予想して
いたものとは全く違う扱いを受けましたが、その夜は彼にとって生涯で最も祝福された夜であっ
たに違いありません。新しく生まれることは私達にとってこの世で味わえる最高の祝福です。
  聖書はなんと言っているか注意してみましょう。「人は、新しく生まれなければ」(ヨハネ3:3)、
この「〜しなければ」という意味の語を含む聖句の中から3つを挙げてみましょう。 「あなたが
たも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ13:3,5)。「あなたがたも悔い改めて
子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません」(マタイ18:3)。「もし
あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して
天の御国に、はいれません」(マタイ5:20)。これらの聖句は皆、まさに同じことを意味してい
ます。
  私は主が新生についてを、あのサマリヤの井戸の女でも取税人マタイやザアカイでもなくこの
ユダヤ人の指導者、律法の専門家にお語りになったことを幸いに思います。もし主がこの重大
な問題に関する教えをその3人や彼等と同様の人々のために用意されたのだとしたら人々は
こう言うでしょう。「その通りです。取税人や遊女は改心する必要があったでしょう。でも私は正
しい人間です。改心の必要はありません」と。しかし恐らくニコデモはエルサレムで正しい人々
のお手本のような人だったでしょう。そのことを否定する記録は何一つありません。
  天の御国にふさわしくなるために新生が不可欠であることを、証明する必要は全く無いと思
います。新しく霊的に生まれ変わるまでは神の御国にふさわしくないと、真実を語る人なら誰も
が言うでしょう。聖書はこう教えます。生まれつきのままの人間は神の御前で失われた存在で
あり、罪ある者です。私達も確かにそれを体験して来ました。最も善良で正しい人であっても、
もし神を受け入れないなら忽ち罪に陥ることを私達は知っています。


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