私は島根県で生まれ育ちました。今は亡き祖母と、母がクリスチャン、教会の牧師が親戚と いう環境で育ったこともあり、幼いころから、目に見えないけれど"神様"がおられると信じてい ました。 小学三年生のときに幼いながら、自分の罪を悔い改めてイエスさまを救い主として信じ、洗 礼を受けました。 やがて、思春期のころから、"クリスチャン"という肩書きを持った外側の自分と内側の自分 のギャップに悩むようになりました。自分の罪深さにばかり目が奪われ、果たして救われてい るのか、確信がもてなくなって来たのです。聖書を読み、キリスト教関係の本を読み、いろいろ な集会に出たりして解決を求めました。 短大を卒業して、保母として働くようになった二年目のある夜、主の前に涙ながらに祈ってい ると心の中に、<見ずに信じる者は幸いです。>という聖書のことばが繰り返し思い出されて 来ました。 それで、その聖書の箇所ヨハネの福音書二十章を開いて読んでみました。その中の、<信じ ない者にならないで信じる者になりなさい>(ヨハネ20:27)を読んだとき、涙があふれて来ました。 自分ばかりを見て、イエスさまの救いを疑っている私に、優しくイエスさまが語りかけてくださっ ているかのようでした。 <あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。>(ヨハネ20:29)私 は、「主よ。信じます」と心から告白しました。「イエス・キリストはこんな私を救うために十字架 にかかってくださった、その救いのみわざは完全で、私はただ信じるだけでいい。私はイエスさ まによって救われているんだ」ということがわかったのです。 それからの私は変えられ、自由が与えられました。罪は赦されて、神さまにありのまま受け入 れられ、愛されている安心の中で生活できるようになりました。今は、主に救われた喜びと感 謝のうちに生かされています。 <神の恵みによって、私は今の私になりました。>(コリントT15:10) |