「同労者」第21号(2001年6月)                        目次に戻る

証 詞

キリストの恵みに生かされて
中京聖泉キリスト教会  婦人伝道師  秋山 みさ


 私は島根県で生まれ育ちました。今は亡き祖母と、母がクリスチャン、教会の牧師が親戚と
いう環境で育ったこともあり、幼いころから、目に見えないけれど"神様"がおられると信じてい
ました。
 小学三年生のときに幼いながら、自分の罪を悔い改めてイエスさまを救い主として信じ、洗
礼を受けました。
 やがて、思春期のころから、"クリスチャン"という肩書きを持った外側の自分と内側の自分
のギャップに悩むようになりました。自分の罪深さにばかり目が奪われ、果たして救われてい
るのか、確信がもてなくなって来たのです。聖書を読み、キリスト教関係の本を読み、いろいろ
な集会に出たりして解決を求めました。
 短大を卒業して、保母として働くようになった二年目のある夜、主の前に涙ながらに祈ってい
ると心の中に、<見ずに信じる者は幸いです。>という聖書のことばが繰り返し思い出されて
来ました。
 それで、その聖書の箇所ヨハネの福音書二十章を開いて読んでみました。その中の、<信じ
ない者にならないで信じる者になりなさい>(ヨハネ20:27)を読んだとき、涙があふれて来ました。
自分ばかりを見て、イエスさまの救いを疑っている私に、優しくイエスさまが語りかけてくださっ
ているかのようでした。
 <あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。>(ヨハネ20:29)私
は、「主よ。信じます」と心から告白しました。「イエス・キリストはこんな私を救うために十字架
にかかってくださった、その救いのみわざは完全で、私はただ信じるだけでいい。私はイエスさ
まによって救われているんだ」ということがわかったのです。
 それからの私は変えられ、自由が与えられました。罪は赦されて、神さまにありのまま受け入
れられ、愛されている安心の中で生活できるようになりました。今は、主に救われた喜びと感
謝のうちに生かされています。
 <神の恵みによって、私は今の私になりました。>(コリントT15:10)






目次に戻る    表紙に戻る