「同労者」第21号(2001年6月)                          目次に戻る

祈りの小部屋

 − パゼット・ウィルクス著、「救霊の動力」から −

 3月25日、日曜日、仙台教会の教会学校成人科で、本誌3月号に載せられた荒川教会山
本雅子先生のお証詞が読まれ、皆さんで語り合う時がもたれました。その中で、雅子先生のお
母さんであられた故森教会太田ひろ恵姉のことが取り上げられました。以前森教会で一緒で
あった高橋満兄から、姉妹についてよき証詞が語られました。自分の受けた恵みを証詞する
ことも幸いですが、他の人の口を通してよき証詞が語られるとはなんと素晴らしいことでしょう。
太田姉も、前回お話しした仙台教会の森田咲子姉同様、祈りの小部屋を持っておられたよし、
抱えられた課題を思うときどんなにか一生懸命お祈りされたことであろうと思います。神はその
祈りに豊かにお答えになられ、私たちの励みとさせなさいました。



 <パゼット・ウィルクス著「救霊の動力」、バックストン記念霊交会、昭和41(1966)、p.55から
>・・
 数年前、ひとりの仏僧がわたしたちの集会に来たことがある。彼は数回の話を聞いて救いを
求めるようになり、ついに救われた。その変化には著しいものがあった。(彼はいま救世軍士
官である。)
 彼はその老母を連れて集会に来るようになった。わたしはその老母ほど暗黒の偏見と迷信
に捕らわれた魂に今まで会ったことがない。数ヶ月間福音を聞いたあとでも、極めて単純な教
えの一つでもにぎることができない。彼女に対してはだれもさじをなげるほかはなかった。全く
サタンのとりこにされていたのである。ちょうどその時、英国からひとりの熱心な神のしもべが
わたしたちの所に遣わされて来ていた。彼女はこのことを聞いて、本国へ祈りを乞う手紙を書
き送ったのである。このように祈り始めてから一か月もたたないうちに、この老母は不思議にも
驚くべき方法によって解き放たれたのである。ちょうど閃光のように彼女の暗黒の心の理解は
照らされ、幼子のようになってゆるしと救いとを求めた。かくて迷信の牢獄から解き放たれ、強
敵はその餌食を手放したのである。
 六か月ののち、彼女はガンのために死に、今は主のみもとにあって、祈りをもって彼女を悪
い者から解き放った人々を待っているのである。
 わたしたちは、人の意志をとりこするサタンの力を悟ってのみ、祈りをもって人々を救うという
断固とした信仰を持たなければならない。
・・ 後略
 

 パゼット・ウィルクスはここで、神に関する理解力が偏見によって阻害され、神の国の事柄を
理解できないでいる人が、祈りによって解放されたことを述べています。私たちは、伝道をして
みると、救われていない人はいかに神の国の事柄について理解できないものであるかというこ
とが分かります。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3) 
それを打開する道は祈りにあることを教えられます。(文責:野澤)



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