「同労者」第21号(2001年6月)
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てバプテスマを授けるかたである。」(ヨハネ1:26、33) 日にちはどんどん過ぎて、早くも上半期最後の6月に突入します。教会の暦では今年は、6 月3日がペンテコステです。クリスマスにキリストの誕生を覚え、永遠の神が人となられた不思 議を考えさせて頂いたのと同様に、ペンテコステにおいては、永遠の神聖霊が人間の中に来ら れて人間の心を住みかとされる不思議を考えさせて頂きたいものです。 パウロはこれを「奥義」であるといいました。「これは、多くの世代にわたって隠されていて、い ま神の聖徒たちに現された奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあって どのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あな たがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:26〜27) 聖泉連合の規約の中の、信仰上の立場に関する記述はごくわずかであって、アルミニアン・ ウェスレアンであることだけが述べられています。けれども、このわずかな表現は、私たちがど のような信仰を持っているかを明快に現しており、この記述は非常に大切です。 アルミニアン・ウェスレアンの信仰の中心となる教えのひとつに「聖潔」があります。私たちが 実際にその聖潔、潔めを経験し、その中に生きているとペンテコステと聖潔の関係を理解でき ます。 聖書を調べてみると、アルミニアン・ウェスレアンの主張する「聖潔」は、聖霊のバプテスマに よって個人の中に始まり、聖霊の満たしによって保たれるものであることが分かります。 ペンテコステは、イエス・キリストの弟子たちに、聖霊のバプテスマが与えられたことです。「ヨ ハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるから です。・・五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然天から、激しい風が 吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた 舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みな聖霊に満たされ・・」(使徒1:5、2:1〜4) 聖霊のバプテスマは今も私たちひとりひとりに与えられます。それは個人のペンテコステであ るといって差し支えありません。皆さんは、自分のペンテコステを経験されたでしょうか?まだで したら、教会の節季にそれを求めようではありませんか。既に与えられている人は、聖霊の盈 満を求めようではありませんか。 「求めなさい。そうすれば与えられます。」 これが、神が私たちに対して定められた信仰の原 理です。 |