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          「同労者」第21号(2001年6月)
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          「その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」
           
          
          (ヨハネ16:13)
           
          
          1.聖霊に関する聖書の教え
           
          
           1.1 聖霊は人格であること
           
          
          ・人格とは何か
           
          
           よく「神との出会い」と言います。多くの方が、「救われて"イエス・キリストとの出会い"をしまし
           
          た」と証詞します。前回取り上げましたのは、"聖霊にお会いする"ということでした。"会う"と表 現するのは、相手が人格であるからです。物や動植物では、言葉の上では会ったとも言います が、"見た"と変わりません。そこには人格的な交流がないからです。 
           このように、私たちは人格という言葉を用いて、自分が交わることのできる存在者を示してい
           
          ますが、この「人格」という言葉は、聖書には出てきません。つまりこれは神が聖書に啓示され た概念ではなく、人間が考えた概念なのです。 
           聖書に登場する、「人格」という用語が指すものは、神、人間、天使、悪霊です。つまり聖書
           
          が「霊」といっているものが「人格」なのです。 
           神が霊であることと、聖霊は父なる神および子なる神イエス・キリストと区別されるお方である
           
          ことが聖霊は人格であることと同義です。 
           <霊=人格>という説明は、聖書学者たちの解説にはほとんど登場しません。しかし、ワイ
           
          レー(「キリスト教神学概論」p.195)などに、霊と人格が同一であることを示す記述がでていま す。 
           「人格」は知情意ならびに行動の自由と自らの行いに対する道徳的責任を有します。
           
          
           知情意を有することは人格であることの必要条件です。しかし、十分条件ではありません。人
           
          格を魂と結びつけて定義し、「知情意」を有することをその中心とする人々がいますが、家畜な どの動物も明らかに知情意を有することを示します。つまり、"知情意を有することが人格であ る"というような定義は明らかに間違いです。 
           体と魂は人間だけが所有するものであって、人間以外の霊は体と魂(心)を持っていません。
           
          それにも係わらず、人間以外の霊も人格なのですから、魂(心)と関連して人格を定義すること は、その点からも誤りです。 
           これらのことから、神の前に置ける道徳性(罪と義)というものは、魂(心)にではなく、霊にあ
           
          ることがわかります。 
          ・聖霊は人格であること 
           
          
           聖霊が人格であることに関する、R.A.トーレイ1)の論証を紹介しておきます。
           
          
          (「聖書の教え」から)
           
          
           1) R.A.トーレイは、アルミニアン神学との対立点では比較的柔軟な立場をとっている、い
           
          わゆる緩和カルビン派の神学者です。 
          (1)聖霊には人称代名詞が使われている。
           
          
           「その方は真理の御霊です。」
           
          
                     (ヨハネ14:16〜17)
           
          
          「その方が来ると、…世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8)
           
          
          (2)聖霊は人格的諸性質を有する。
           
          
          .知識 コリントT2:10〜11
           
          
          ・意志 コリントT12:11
           
          
          ・心意 ローマ8:27
           
          
          ・愛情 ローマ15:30
           
          
          ・悲しみ エペソ4:30
           
          
          (3)人格的行動をとられる。
           
          
          ・語る 黙示2:7
           
          
          ・叫ぶ ガラテヤ4:6
           
          
          ・とりなす ローマ
           
          
          ・あかしする ヨハネ15:26
           
          
          ・真理を教える ヨハネ14:26
           
          
          ・指導する ローマ8:14
           
          
          ・命令する 使徒16:6〜7
           
          
          ・神の働きに召す 使徒13:2
           
          
          (4)人格的職分を持たれる。
           
          
          ・       ヨハネ14:16〜17
           
          
          (5)人格的な取り扱いをされる。…これは人間(人格)のみが有するもので、動植物は有してい
           
          ない範囲のことである。 
          ・反逆に憂う イザヤ63:10
           
          
          ・侮られる ヘブル10:29
           
          
          ・欺かれる 使徒5:3
           
          
          ・汚される マタイ12:31〜32
           
          
          "聖霊との交わりは、人格の交わりです。"
           
          
           父、子、聖霊が独立した人格であるということは、"人間の人格のレベルでは神は三人のお
           
          方である。"ことを意味しています。しかし、「人格」に対比して神の本質を「神格」と表現するな ら、この三人のお方がお一人の「神格」である、といってよいと思います。 
           1.2 聖霊は神であること
           
          
           1.2.1 神の属性
           
          
           聖書は、神はどのようなお方としているか、1.1項と同じR.A.トーレイの「聖書の教え」の記
           
          述を引用しておきます。 
          (1)神は霊である。 ヨハネ4:42
           
          
          (2)神は唯一である。 申命記4:35
           
          
          (3)神は永遠である。 創世記21:33、イザヤ40:28、詩篇90:2,4
           
          
          (4)神は偏在される。 詩篇139:7〜10、エレミヤ23:23〜24
           
          
          (5)神は人格である。 詩篇94:9〜10
           
          
          (6)神は全能である。 マタイ16:26
           
          
          (7)神は全知である。 歴代誌U16:9
           
          
          (8)神は聖である。 レビ11:45
           
          
          (9)神は愛である。 ヨハネT4:8,16
           
          
          (10)神は義である。 ゼパニヤ3:5
           
          
          (11)神はあわれみ深い。 詩篇103:8
           
          
          (12)神は真実である。 申命記7:9、32:4、テサロニケT5:24、ヨハネT1:9、コリントT10:13
           
          
           少し、解説を付け加えておきます。
           
          
           「聖」は神の内的品性であり、「義」は神が他者をお取り扱いになるときに顕わされる品性で
           
          す。 
           「真実」の意味は、人が"安心して依り頼むことができる"お方ということです。
           
          
           神が既になされたこと、今行われていること、これからなされることがあります。
           
          
          ・全世界の創造 創世記1:1〜、
           
          
                     使徒14:15
           
          
          ・世界の維持 詩篇104:27〜30
           
          
          ・世界の支配、守護 マタイ6:26、
           
          
                      マタイ6:28〜30
           
          
          ・審判 黙示20:12〜15
           
          
          ・神の属性の呼び方について
           
          
           聖書研究会の際に、神の属性という表現に対して、「本性」と「属性」に区分するのではない
           
          かとの質問が出されましたので、神学者の説明を紹介しておきます。 
           <オートン・ワイレー>
           
          
           ――ウェスレアンの代表的神学者の一人
           
          
           神の属性には以下のような区分の方法があると解説しています。
           
          
          (1)自然的属性と道徳的属性
           
          
           自然的属性…意志的行為と無関係なもの
           
          
           道徳的属性…意志と関係するもの
           
          
           (公正、憐れみ、愛、良善、真実、…)
           
          
          (2)絶対的属性と相対的属性と道徳的属性
           
          
           絶対的属性…創造とは関係ない神ご自身に係わるもの
           
          
           (霊性、無限性、永遠性、無窮性、不変性、完全性)
           
          
           相対的属性…創造者と被造物の関係に係わるもの
           
          
           (偏在、全能、全知、知恵、良善)
           
          
           道徳的属性…神のご支配における道徳的存在者、特に人間との関係に係わるもの)(聖、
           
          愛、公正と義、真実、恩恵) 
           <ヘンリー・シーセン>
           
          
           ――強硬なカルビン派の神学者
           
          
           ヘンリーシーセンは、神のご性質を本質と属性とに区別します。
           
          
          (1)神の本質
           
          
           霊性、無限性、自存性、永遠性
           
          
           ――霊性の中に以下のことが含まれる
           
          
            ・物質ではない
           
          
            ・目に見えるものではない
           
          
            ・生けるお方である
           
          
            ・人格である
           
          
          (2)神の属性
           
          
           自然的属性(非道徳的属性)と道徳的属性に区分する。
           
          
           自然的属性…偏在、全知、全能、不変
           
          
           道徳的属性…聖、義、正義、善(愛、憐れみなどはこの中に含まれるとする)
           
          
           ヘンリーシーセンはこの他に、内存的属性と他動的属性という区分方法があることを紹介し
           
          ています。 
           これらの区分は、神がもともと持っておられる属性を、分かり易いように区分しているだけで
           
          あって、どれでなければならない、というようなことではありません。 
           1.2.2 聖霊は神の属性を有するから神であること
           
          
           聖霊が神であられることは、以下の聖書の記述からわかります。
           
          
          (1)聖霊は神の属性を持っておられる。
           
          
          ・永遠 ヘブル9:14
           
          
          ・偏在 詩篇139:7〜10
           
          
          ・全能 ルカ1:35
           
          
          ・全知 ヨハネ16:12、13
           
          
          (2)聖霊は神の働きをされる。
           
          
          ・創造 詩篇104:30
           
          
          ・生命の付与 ローマ8:11、  創世記2:7
           
          
          ・預言 ペテロU1:21
           
          
          (3)旧約聖書の主(エホバ)の記述が、新約聖書では聖霊に帰せられていることが多い。
           
          
          ・イザヤ6:8←→使徒28:25〜27
           
          
          ・出エジプト16:1〜8、民数記11:1〜6←
           
          
           →ヘブル3:7
           
          
          (4)聖霊の御名は神の聖と並び用いられている。
           
          
          ・マタイ28:19
           
          
          ・コリントT12:4〜6
           
          
          ・コリントU13:13
           
          
          (5)聖霊の神的称号
           
          
          ・使徒5:3〜4(聖霊を神と呼んでいる。)
           
          
                    (この章 つづく)
           
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