「同労者」第22号(2001年7月)                          目次に戻る 

論  説
 ― サマーキャンプに参加しよう ―

「見よ はらから相睦(あひむつみ)てともにをるはいかに善(よく)いかに楽きかな」
(詩篇133:1文語訳)


 この年もたちまち半年が過ぎてサマーキャンプの時がやってきます。
 かつて、林間聖会というものがあって、研修会が主体でした。今、そのようなものがあったこ
とすら知らない方々が、サマーキャンプに集まってきます。
 「君はきみ。我はわれなり。されど仲良き。」(武者小路実篤)今は多様化の時代だといわれ
ます。多様化ということが、「あんたはあんた。わたしにゃ関係ないよ。」ということばになって福
音に耳を傾けないことにつながり、福音伝道の妨げになっている面もあります。しかし、サマー
キャンプにも多様化がはかられてきました。よい意味での多様化は更に積極的に取り入れると
よいのではないでしょうか。
 青少年の皆さんは、普段は離れている連合の教会の仲間と会い、交わりを通して楽しい一
時が持てることでしょう。そこに行かないなら、きっとこの世の友達と遊んで歩くに違いありませ
ん。解放感をもつ夏休みほど誘惑の多い季節はありません。サマーキャンプは世の誘惑から
彼らを守ります。
 子供さんのいる親たちは、仕事から解放されて子供さんと遊び、親子の交わりを持てることで
しょう。子供さん達は常日頃、殊にお父さんを必要としていることでしょう。現今の日本の社会
は、仕事の場でそれなりのことをしていこうと思うなら、「5時です。はい。お先に。」といってさっ
さと家に帰れないのが実態でしょう。だからこそ、サマーキャンプには時を買い占めて、親子の
時を持ちたいものです。
 サマーキャンプは「聖会」としての働きがあります。多くの人々が、聖会で恵みを受けました。
崩れた献身の壇を築きなおし、自らの信仰の建て直しをはかることが許されます。そのような
ことを求める人々もまた一つのグループとなって、分科会でもよし、あるいはひとり静まるとき
をもってでも、導きを求めたなら幸いでしょう。この世の忙しい生活の中で、いつ、静まる時が
得られているでしょうか。そのような時を持てないからこそ、サマーキャンプでは、山に入ってひ
たすら祈った人々に倣いたいものです。
 一部の人々は、子供の救い、親兄弟の救い、親しい人々の救い、家庭にまつわる様々の課
題、仕事の課題、教会の重荷、いかにたくさんの祈りの課題をもっていることでしょう。サマー
キャンプの間祈り通しても足りないことでしょう。一人だけでは長い時間祈ることが出来なくて
も、集まって祈るなら祈り通すことができます。
 二日では短いという叫びが出るようなサマーキャンプであらせて欲しいと思います。
 なにはともあれこれに参加することが始めです。


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