「同労者」第22号(2001年7月)
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信仰良書
「私達は改心の必要がない」?
特別の宗教的集会はある種の人々にとっては非常に良いものである、と言う人々がいます。
彼らはこんなことを言います。「もし集会に酔っ払いやギャンブラー、その他の不道徳な人々を 連れてくる事が出来たらとても素晴らしいことです。非常に良い働きがなされるでしょう。けれど も、私達は改心の必要はありません」。一体キリストは誰に向かって「あなたがたは新しく生ま れなければならない」(ヨハネ3:7)という知恵のことばを語られたのでしょうか。あのニコデモに対 してなのです。ニコデモとはどういう人ですか。酔っ払いですか。ギャンブラーですか。それとも 泥棒ですか。いいえ。疑いもなく彼はエルサレム中で最も正しい人々の一人でした。彼は名誉 ある律法の教師であり、最高議会に属し、非常に高い地位を占めていました。ユダヤ教徒の 中でも最も正統派の一人だったのです。その彼に対し、キリストは何と言われたでしょうか。 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われたのです。
しかしこんな風に言う人もいるのではないでしょうか。「では、どうしたら良いのでしょう。私は
いのちを生み出す事は出来ません。自分を救うことなんてどうやったって出来っこありませ ん」。確かに出来はしないでしょう。私達もそれは要求していません。あなた方に言いますが、 キリストによらないで人が変えられるのは全く不可能です。しかし人はその徒労を繰り返してい ます。彼らは「古いアダム」の性質に継ぎはぎを当てようと努力しているに過ぎないのです。し かし必要なのは新しい創造です。新生は新しい創造なのです。そしてもしそれが新しい創造な ら、それは神の御手の業でなくてはなりません。創世記の冒頭に人間は登場しません。神御一 人のほか誰も存在しないのです。神は人の助けを必要となさいません。神が地を創造された 時、ただ御一人でなさいました。キリストが世を贖われた時もただ御一人でなさったのです。
「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です」(ヨハネ3:6)。豹はその
斑点を変えることは出来ません。あなたは神の助けなしに、自分自身をきよく汚れのない者に 出来るかどうか試してみたらいいでしょう。肉において神に仕えるぐらいなら月を飛び越えよう と努力するほうがましです。ですから「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた 者は霊」なのです。 |