「同労者」第23号(2001年8月)                目次に戻る

巻頭言
− 人間のコンテンツ − 
荒川聖泉キリスト教会   茶谷 起与志

「いいですか。私があなた方を遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、
蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい。」(マタイ10:16)

 私たちのライフスタイルは、インターネットや携帯電話の登場によって随分と様変わりしてき
た。確かにビジネスでもプライベートでも、必需品となり、便利で強力な味方にもなってくれる。
私にとってもなくてはならないツール(道具)になってしまったようだ。パソコンや携帯電話の普
及で、インターネットは身近なものになってきた。まさしく情報の宝庫である。たくさんのコンテン
ツ(中身、内容)がちりばめられ、新聞のように毎日更新されている。また更新しなくては飽きら
れて見向きもされなくなってしまう。
 それに対し、聖書のコンテンツはどうであろうか。聖書は神の言葉であって初めより書き加え
られることも、削除されることもない。インターネットのように更新されることもない。聖書は何千
年も変わることなく、人間に真実の価値観を教えてくれる。
 さて人間のコンテンツとは一体何なのだろう。聖書にたくさんの素晴らしい御言葉があるが、
マタイ10:16には非常にわかりやすく人間の中身を動物でたとえている。これはイエスの私達
に対する極めて重要な忠告である。クリスチャンがこの世にあって、海千山千の人、恐い人の
中にあっても、対抗しうる姿勢を教えている。「蛇のように聡く、鳩のように素直でありなさい」と
あるが、聖書では蛇は、アダム、エバを惑わしたようにいい意味では使われない。蛇のイメー
ジはずる賢い、したたか、用心深い、、、など。
 それに対して鳩は、素直、純真、平和、…つまり蛇と鳩のイメージは全く正反対なのだ。イエ
ス様は蛇のようになることと、鳩のようになる事のあい矛盾した二つをクリスチャンに要求して
いるのである。片方だけではいけませんよ。両方兼ね備えていなければいけない。両方持ち合
わせるバランス感覚が必要だといっている。
 青年時代、私は自分で言うのも変ですが、鳩のような性格、まさしく素直な好青年であった。
しかし事業に責任をまかされ、鳩だけでは生き抜いていけない、蛇の部分も身につけていかな
ければ到底事業など続けていけない事を実戦の中で教えられた。そして商売には結果(数字)
が求められる事、お金が絡んでくると人間性の資質、誠意が問われてくる事、毎日相手と駆け
引きの中で、人を見る目も養わなければならない事、私は今もその只中にある。「蛇のように
聡く、鳩のように素直でありなさい」という人間のコンテンツは、クリスチャンがこの世の人と、
同じ土俵で戦かうために身に付けなければならない永遠のテーマなのかもしれない。だからこ
そ、蛇になる必要のない聖日の教会は大切な時間なのだ。


目次に戻る      表紙に戻る