「同労者」第23号(2001年8月)
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ショートコラムねだ 時々刈っているがふとこんなことを考えた。 「同労者」の読者の皆さんに、「代金は私が支払いますから、何でも好きな道具を買って、草 刈りをして下さい」と頼んだら皆さんは一体どんな道具を買って草刈りをするだろうか?というこ とである。 道具を買うのにどこの店にでかけるか。最近は金物専門店は殆どなくなってしまった。代わり にホームセンターなるものが、"雨後のたけのこの如く"といっては大げさだが、沢山できて、そ こで道具、材料なんでも売っている。草刈りの道具もしかり。 さて、草を刈るのに包丁とかカッターナイフを買って来る人はあるまい。草をかるのだからき っと鎌を買ってくることであろう。しかし、鎌と一緒に砥石を買って来る人はほとんどいないであ ろう。 ホームセンターで売っているイチヨンパだのイチキュッパの鎌では素材も高が知れている。 安い炭素鋼に形ばかりの焼き入れしたものに違いない。格好は一丁前であるが、すぐ刃先が なまる。また固い物に当たれば刃こぼれする。刈り始めのときは、さくさく刈れたものがすぐ切 れなくなり、わずかの面積の草刈りに多大な労を払う羽目になる次第である。終いには鎌をふ るっても草が切り取られず、倒すだけになったりもする。 このなまくら鎌の救済に登場するのが砥石である。砥石で鎌を研ぐ時、水が必要である。側 に水のあるところでなければ、砥石とともに水を入れたバケツが登場することになる。 頻繁に研ぎながら草を刈れば、初めと同じようにさくさく刈り続けることができる。切れる鎌を 使うのと、切れない鎌を使うのでは、草刈りの労に雲泥の差が生じる。 「空の鳥を見なさい。」(マタイ6:26)と言われたイエスに倣って「草刈りの仕事を見る」なら、これ また豊かな暗示に富んでいる。 私たちの働きの中に労多くして、刈り入れが少ないものはないだろうか。その働きに、切れな い鎌で草刈りをし続けるようなことはしていないだろうか?その働きが有効であるように、よい 道具をもっているか、その道具を絶えず研いて切れる状態を保っているか、これが勝敗の分 かれ目というものだ。 私たちの信仰の戦いに「神の武具を身に着けなさい。…御霊の与える剣である、神のことば を取りなさい。」(エペソ6:11,17)とパウロは言う。神の剣を研ぐことを覚えようではないか。 |