「同労者」第24号(2001年9月)
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11月18日(火)
早朝2時30分起床。3時シナイ登頂に出発。山麓までバスで運んで貰い、其処から徒歩であ
るが3時間を要するとのことだ。シナイ山は2,300メートル、山麓が1,500メートルと言うか ら実質800メートルくらいの登山である。サンタカテリーナ修道院を右に見て満月の月明かり で持参の懐中電灯も要らない程であった。寒いから重装備をと言われたが風もなく寒さもなく 却って登山する中に体は熱くさえ感ずる。山道を迷ったら大変だ、先頭に河谷氏。しんがりは 山登りの経験があるという若い杉山兄。その間に一列になって続いた。みな黙々と前の人を見 失うまいとして続く。だんだん道が険しくなるとその隊列も長く延びてくる。声を掛け合い確かめ 合って登る。外人組も何組か抜いたり抜かされたり、しかし山男は何か共通の親しみがある。 特にシナイ山に登る人たちには主にある交わりがある。"シャローム!"と手を上げれば握手と シャロームが返ってくる。8合目あたりから最後の難関の長く険しく不揃いの石段が続く。数十 歩歩いては腰掛け、また立ち上がる繰り返しである。満月の夜明け前の澄んだ空の美しさは 譬えようがない。河谷氏は今年で4回目の登頂だという。ガイドとはいえ、その都度見慣れた 山の登頂は御苦労なことだ。"着いたぞ!"先頭の誰かが大声で叫んだ。その声に励まされて 私も余力を蓄えていた訳ではないが最後は一気に駆け登った。誰かが「先生、すごい元気で はないですか」と言っていた。エジプトでのダウンを知っており、また牧師仲間では年頭の私で あることを知っての声援かも知れない。 ![]()
山頂は狭い岩の平地で其処に二つの建物があった。避難小屋の様なコンクリ造りの山小屋と
教会である。この教会は山麓のカテリーナ修道院管理のものらしい。登山道の整備も、この山 頂の建物も修道院の僧らの手によると言う。大変な仕事だったろう。山頂は風があり厳しい寒 さだった。3時間と言ったが2時間半位で登ったようだ。夜明け(サンライズ)には一寸時間が あるため風を避けて小屋の中や岩蔭に身を隠す者、毛布に身を包んでいる人、足踏みしなが ら日の出を待つ人さまざまである。中には寝袋で一夜を明かした外人組もいたようだ。シナイ 連山は雄大で神秘的で正にモーセの神体験の場に相応しい。 ![]()
遙か明るみを見せる東側はサウジアラビヤ方面か。草木は見えず全てが幾重もの赤い岩肌
の重なりであり荘厳の中にたたず佇んでいる。東の空に明けの明星、金星が、後方には満月 が寒々と中天に浮いている。
かってこんな厳粛な光景に触れたことがあったろうか。まさに神の創造の美が我々を胸苦しい
迄に締めつける。人はこのような場に出会うことの大事であることをしみじみ思わされる。 3、 40分待って漸く太陽が顔を出した。その瞬間、歓声が沸き上がる。この一瞬を見るために登 ってきたのだ。此処に立っただけで聖地旅行にきた甲斐は満たされた感がする。感動を忘れ やすい自分だが、この感動だけは忘れまいと心深く刻んだのである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
下川師もお役目とはいえ重いビデオを担いで登頂したが大変なことだ。山頂から記念の石を
2、3個拾って下山。少し下りると山頂の寒さは何処へ、また汗さえにじ滲んでくる。朝日を浴び た赤い岩肌と真っ青な空のたとえようもない見事な美しさに圧倒されつつ更に下山する。途中 の岩蔭で宮内師と長谷部師が向かい合って祈り合っていたのが印象的だった。そういえば祈 りには絶好の場所である。シナイ山は十戒の山、モーセは、ヨシュアは、何処で祈ったのだろう か。ガイド氏によると山麓にイゼベルを避けて逃れたエリヤが神の声を聞いたとされる跡を教 えてくれた。山麓には カテリーナ修道院があり、その先の小高い丘にアロンの犢(こうし)礼拝 の不名誉な記録跡の教会がある。 ![]()
有馬師は現在、日基の新宿西教会の牧師(8階建てのシャロームビル)で名誉牧師の岡田実
先生に要請されて5年前に副牧師としてしょうへい招聘されたと言う。しかし日基のホーリネス の群れ出身で立場も私と良く似ている。彼は中々奥行きのある器であるとみた。いわゆる福音 派の人にない或る種の知性と謙虚さを持っている。このような器は人望を集めるだろう。私も 大いに学ばされる所があった。
朝食後ホテルを出てカテリーナ修道院の見学。ここは世界最古のシナイ写本が発見された
所として有名な場所。河谷氏の骨折りでおびただ夥しい人骨の集積してある部屋を見せて貰っ たり世界最古のイコン画などの貴重品の参観が出来た。院内ではチッポラの井戸(出エジプト2: 15、16)や燃える柴も教えて頂いた。外に出るとラクダに乗せて写真を撮る商人が待っていて (1回1ドル)何人かその話に乗った。真っ先に乗ったのは大井夫人。彼女は底抜けに明るい 人で宮内師と共に笑いの発生源となっている人だ。しんがりは河谷氏。どうやら商人は彼をチ ームリーダーと見て乗せただけでなく待機中のバスまでラクダと共に運んでくれた。 ![]() ![]() ![]() ![]()
深い印象のシナイ山を後にして我々はまた山合いの道、砂漠の原野を走り(殆ど対向車な
し)何時間かして遂にアカバ湾に出た。更に左折、北上して昼食は魚のネオン大看板のあるレ ストランで頂いた。(スパゲティー、パン、野菜サラダ)休憩時間みんな海岸に出て石を拾ったり 貝殻を集めたり写真を撮ったり。海水が実にきれいで澄んでいたのが印象ふかく、さざ波が影 を作って底に縞模様をうつしている光景が実にさわやかであった。(この日の記、つづく) ![]() |