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          「同労者」第24号(2001年9月)
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          「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父からでる真理の御霊が来るとき、その御霊
           
          がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26) 
          「…彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を
           
          前もってあかしされたとき、だれを、またどのような時をさして言われたのかを調べたのです。 …」(ペテロT1:8〜16) 
          2.キリストの霊
           
          
            2.1  聖霊のイエスの御生涯との係わり
           
          
          (1)誕生
           
          
           「…御使い(ガブリエル)は(マリヤに)答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方
           
          の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。…』 …」(ルカ1:35) 
           「…夫のヨセフは正しい人であって…(身重になったマリヤを離婚(婚約解消)をしようと)思い
           
          巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないで、あなたの 妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産み ます。その名をイエスとつけなさい。…』…」(マタイ1:18〜20) 
           イエスの誕生に聖霊が関与されました。マリヤは聖霊の働きによってイエスを身ごもったので
           
          す。 
          (2)水のバプテスマと聖霊のバプテスマ
           
          
           「…イエスは(ヨハネから水の)バプテスマを受けて、すぐに水からあがられた。すると、天が
           
          開け、御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。」(マタイ3:13〜16) 
           その他(マルコ1:9〜11、ルカ3:21〜22、ヨハネ1:29〜34)にこの記事があり、バプテスマのヨハネもイ
           
          エスに聖霊が下られるの見たことを述べています。 
          (3)試み
           
          
           「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。…」(マ
           
          タイ4:1〜11)その他(マルコ1:12:〜13、ルカ4:1〜13) 
           イエスが悪魔の試みに遭われたのは聖霊の導きによりました。これは私どもの思惑と異なり
           
          ます。私たちは聖霊に導かれるとき試みにあうことがないか減ることを期待しがちです。けれど も"聖霊に導かれて"試みにあわれたのです。私たちにも同じことが当然ありえます。 
          (4)宣教
           
          
           「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広
           
          まった。イエスは、彼らを会堂で教え、みなの人にあがめられた。…安息日に会堂に入り、… 予言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。 『わたしの上に主の御霊がおられる。主が貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を 注がれたのだから。…』…イエスは…話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなた がたが聞いたとおり実現しました。』」(ルカ4:14〜21) その他(マタイ4:17、マルコ1:14〜15) 
           「神がお遣わしなった方は神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからであ
           
          る。」(ヨハネ3:34) イエスは聖霊に導かれて宣教を行われました。 
          (5)礼拝
           
          
           「真の礼拝者たちが霊とまことによって礼拝する時が来ます。今がその時です。…神は霊で
           
          すから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21〜26) 
           「…それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1) 聖霊による礼拝を教えられたイエ
           
          スご自身も当然聖霊によって礼拝されたと考えられます。 
          (6)祈り
           
          
           「私たちにも祈りを教えて下さい。…なおのこと、天の父が、求める人たちに聖霊を下さらな
           
          いことがありましょう。」(ルカ11:1〜13)このようにイエスは、祈りを求める弟子に答えて、祈りに 必要な聖霊が与えられることを語りました。イエスの祈りも聖霊によるものでした。 
          (7)喜び
           
          
           「イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。…」(ルカ10:21)
           
          
           イエスは聖霊による喜びをもっておられました。彼の公生涯はあまりにも厳しいものでしたか
           
          ら、彼の伝記には"笑った"と記されているところはありません。しかし、彼の内心は聖霊による 喜びに満たされていました。私たちの生涯にも苦難があります。その苦難のときこそ聖霊の喜 びが必要なのですし、神は信仰をもって苦難を忍ぶものに聖霊による喜びをお与えになるので す。 
          (8)聖霊に満たされた生涯
           
          
           「…わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに
           
          油を注がれたのだから。」(ルカ4:14〜21) イエスは聖霊に満たされた生涯をされました。 
          (9)死
           
          
           「…頭をたれて、霊をお渡しになった。…」(ヨハネ19:28〜35) 聖霊はイエスの死の際にも共に
           
          おられました。 
          (10)復活
           
          
           「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」(コリントT15:44)
           
          「今やキリストは、眠った者の初穂として使者の中からよみがえられました。」(コリントT15:20)「イ エスが死人の中からよみがえられたこと…」(マタイ28:7) 
           イエスの復活は聖霊によったのです。
           
          
            2.2  イエスを信じる者の受ける御霊
           
          
           「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いてい
           
          るなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その 人の心の奥底から、生ける水が川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後にな って受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、 御霊はまだ注がれていなかったからである。」(ヨハネ7:37〜39) 
           イエスは「聖霊によってバプテスマを授ける方」(ヨハネ1:34)でしたが、それは、何時でもよかっ
           
          たのではありませんでした。イエスが信じる者たちに聖霊のバプテスマを授けられるために、 次の二つの準備が必要でした。 
          (1)聖霊がイエスと彼の公生涯をともに歩まれること
           
          
          (2)イエスが栄光を受けられること
           
          
           まず、聖霊ご自身が信じる人々に注がれる前に「キリストの心を心とする」(ピリピ2:5)こと、もう
           
          一つはイエスが贖罪を完成されることでした。 
           聖霊は、イエスの内にあってイエスとともに歩まれました。
           
          
           聖霊は、イエスが罪人の言い逆らうことやパリサイ人の心の頑なさを嘆かれた時にも、イエス
           
          が貧しさの憂いや病を知られた時にも、またマリヤとマルタの兄弟ラザロのために涙を流され た時にも、イエスが弟子たちを扱われた時にも、ゲッセマネに行かれた時にも、カルバリに向 かって歩まれた時にもイエスの内におられた方、イエスが十字架の上で罪人の一人に「今日あ なたはわたしとともにパラダイスにいる。」と言われた時にもイエスの内におられた方です。 
           聖霊はイエスの歩まれたすべてを共に歩み、イエスと心を一つにされました。
           
          
           聖霊がイエスと共に歩まれることは、"キリストの霊"として私たちの内においでになる準備で
           
          した。 
          「父は、もう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その方は真理の御霊です。」(ヨハネ
           
          14:16〜17) 
          「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのこ
           
          とを教え、またわたしがあなたがたにはなしたすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨ ハネ14:26〜27) 
          「わたしが父のもとから遣わす助け主すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が
           
          わたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26) 
          「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行か
           
          なけらば、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け 主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきにつ いて、世にその誤りを認めさせます。…その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたを すべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて 起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現します。わたし のものを受けてあなたがたに知らせるからです。」(ヨハネ16:7〜15)  |