「同労者」第24号(2001年9月)                          目次に戻る

随想

 − 父 の 愛 
仙台聖泉キリスト教会  菊地 和子


  神様は天地を創造された時に人間をご自分のかたちに創造された。そして男と女とに創造
され、祝福していわれた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」と。そして今、人間は本当に全地に
満ちたのである。
 全知全能の神様は人間を増やすのにどんな方法でもおとりになれたであろうが、何故人間を
男と女とにお造りになり、その結合によって増える道をおとりになったのだろうか。
 私が思うその一つは、神様はご自分のかたちに人を創造されたとあることである。人は神様
の御心が分かるものとして造られたのである。もう一つは、愛とはどういうものであるかを知ら
せるために男と女とをお造りになったのだと思う。
 男女の愛、親子の愛、その他、人との交わりは愛がなければ成り立たないように造られたの
だと思う。愛にはいろいろの形があるが一番分かり易く理解し易いのは親の子に対する愛であ
ろう。
 聖書に出てくる親の愛の最たるものは、自分に反逆した息子アブシャロムを失って歎くダビ
デの姿である。
 
 旧約聖書の中にはたくさんの歴史物語があるが、その中でもダビデ伝ほど詳細に記されて、
多くの人に知られている物語は少ないであろう。サムエル記を通して伝えられるダビデの姿
は、波乱を極め、数奇の限りを尽くして、今日なお生気はつらつと一大ドラマを見ている様に私
たちに迫ってくる。
 「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねば
よかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(サムエルU18:33)
 自分に背き、命までねらった息子アブシャロムの死の知らせに、王の恥も面目も捨てて泣き
崩れた父ダビデの悲痛な叫びは、三千年の時を超えて団長の思いをもって私たちに迫って来
る。
 ダビデは今、宿敵アモンを始め、エドム、モアブ、フェニキヤ等を制圧して、全イスラエルの王
であった。王には沢山の妻妾と子供があったが、その中のアムノンは長子、アブシャロムは第
三子、アドニヤは第四子である。アブシャロムには姿も心も美しい妹タマルがあった。
 アムノンは腹違いの妹タマルに思いを寄せた。当時は腹違いの兄妹の結婚は許されていた
というが、アムノンの思いはそのようなものではなく一時の欲情を満足させるだけのものであっ
た。病気を装ってタマルを呼び寄せ、力ずくでタマルを辱めたのである。正当な手続きを取って
結婚してくれるように懇願するタマルをアムノンは無情にも追い出した。妹タマルの悲痛な心を
察して兄アブシャロムは「このことはもう忘れるように」と慰めたが、アブシャロムの心には、ア
ムノンに対する深い憎しみが宿ったのである。
 ダビデはこの憎むべき事件を聞いて激しく怒ったが、怒りながらも何の処置もとらなかったの
である。アムノンが長子のせいか、或いはまだ皆の記憶に新しいバテ・シェバ事件の後ろめた
さが、我が子の非道を罰することをためらわせたのであろうか。いずれにしてもこの時のダビ
デの優柔不断によって、後日一大悲劇が起こることになったのである。
 一方アブシャロムは、アムノンに対する憎しみと、無策な父に対する憎しみと重なって、殺意
を抱くまでになっていた。アブシャロムはその憎しみを二年間胸の内に秘めていたが、二年後
羊の毛を切る祝いの席に異母兄弟を招いて、その席でアムノンを虐殺して復讐を遂げたので
ある。
 アブシャロムは、事件後母の故国ゲシュルに逃れて祖父タルマイの許に身を寄せた。その三
年の間に父ダビデの怒りもようやく薄れ、かえってアブシャロムのことを思うようになっていた。
老境を迎えつつあったダビデにとっては長子アムノン亡きあと、頼りにするのはやはり利口で
美しいアブシャロムであったろう。ソロモンはまだ幼かった。王のこの心を察してアブシャロムを
呼び寄せたのはヨアブである。ヨアブは全軍の長(総司令官)として常にダビデの側にあって、
情に脆いダビデを助けて常に冷静な判断をした人である。(私はダビデのイスラエル統一はヨ
アブの働きに寄る所が大変大きかったと思っている。)
 アブシャロムはようやくエルサレムに帰ったが、ダビデはなお二年間逢うことをしなかった。ア
ブシャロムは一策を案じ、ヨアブに頼んでやっと父に逢った。五年振りで父子は顔を合わせた
のである。ダビデにとっては、この時の和解ですべてを水に流したつもりであったろうが、アブ
シャロムの方では父に対する怨みは決して消えてはいなかったのである。兄が異母妹を犯し、
弟が兄を殺すという家庭内暴力は、父に対する新たな悲劇へと発展していった。
 アブシャロムはついに父王に対して、反旗をひるがえした。父に対する憎しみと、王位に対す
る野望は一気に燃え上がったのである。アブシャロムは、全イスラエルに二人とない有名な美
男子であったという。このアブシャロムが堂々と威容を整えて行進する様に、人々は歓呼して
彼の下に集まった。彼はまだ、ダビデがイスラエルの部族に対して不公平であると宣伝して、
自分が王になれば一切の不公平はなくなるであろうと約束した。このようにして四年の間人々
の心をつかみ、着々と準備をしていたが、機が熟するのを見てついにヘブロンで即位したので
ある。
 ダビデにとっては、たとえアブシャロムと一時の不和があったとしても、心の中では深く愛して
いる息子が、自分に反逆しようとは全く夢想もしなかったのであろう。その驚きは大きく、取るも
のも取りあえずエルサレムを脱出した。ダビデの生涯中、最も悲惨な都落ちの光景は、サムエ
ル記第二第十五章十三節以下に詳細に記されて、当てもなく逃れて行くダビデの姿に私たち
は涙なきを得ないのである。しかしダビデは信仰の人であった。苦難の中からひたすら神によ
り頼み、野山にさすらいながらなお、
 私は身を横たえて、眠る。
 私はまた目をさます。
 主がささえてくださるから。(詩篇3:5)
との感謝が湧き出るのであった。この詩はダビデがアブシャロム側に密偵として送り込んだ人
から「今日中にヨルダン川を渡るように」との通報で夜を徹してヨルダン川を渡り終わったあと
のダビデの作と云われている。
 アブシャロムはエルサレムに入城した。――遂にわが野望は成った――と思ったであろう。
しかしそれは長くは続かなかった。ダビデ軍との決戦で、アブシャロムは致命的な失敗をした
のである。アブシャロム軍はダビデをすぐ追うことをせず時間をかけて軍を集結することに決
めた。実はこれはダビデ軍から寝返ったと見せかけたダビデの親友フシャイの計りごとであっ
た。その間にダビデ軍は陣を立て直して決戦に備えたのである。
 ダビデは軍を三つに分け、その一つをヨアブに、次をヨアブの兄弟ツェルヤの子アビシャイ
に、もうひとつをガテ人イタイに指揮させた。彼は自分も出陣するといったが、民はそれを許さ
ず「あなたは安全な場所にいてください。」といったのでその声に従った。ダビデは出陣する三
人の隊長に「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」と切なる願いを述べ
た。彼はこの時、すでに自軍の勝利を見通していたのではないだろうか。ダビデは百戦連勝、
今までの戦いに一度も敗れたことのない勇将であった。しかしダビデが勝利することは敵将ア
ブシャロムの命を取るということである。この時のダビデの胸中は如何ばかりであったろうか。
 決戦はエフライムの森で行われ、ダビデ軍は大勝した。ひとり騾馬に乗って逃げたアブシャロ
ムは、森の大きな樫の木の枝に頭がかかって宙づりになったところを、追ってきたヨアブによっ
て情け容赦なく殺されたのである。
 使者がアブシャロムの死を告げた時、ダビデは失望と悲歎のあまり、門の上の部屋に入って
うめき歎いた。
「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよ
かったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(サムエルU18:33)
 何という悲痛なうめきであろうか。今、ダビデは王でもなければ戦勝者でもなかった。ただ一
人の父として、断腸の思いで慟哭(どうこく)しているのである。
 この悲しい歴史物語の中で、ダビデの姿が一際輝いて私たちの胸を打つ。自分を憎み、命
を狙うわが子をも親は愛してやまないのである。
 子供は容易に親に背き親を捨てるが、親はどのような子供でも心から見捨てることは出来な
い。私たちはこの親の姿の中に、神様の御愛を垣間見(かいまみ)る思いがしないだろうか。
子供のために一度も胸を痛めたことのない親はまれであろう。私はこの親の痛みを通して、人
間に背かれた神様のお痛み、お悲しみを思う。
 父なる神様は背いた人類を見捨て給うことなく、御子イエス様をこの世に下し、私たちの罪を
すべて十字架上に消してくださった。御自分の犠牲において、お痛みにおいて人類の救いを完
成して下さったのである。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者
が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされた
のは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:16〜17)
 この人智では計るべくもない大きな御愛の前に、私たちは頭を垂れて感謝と讃美を捧げるば
かりである。(完)



目次に戻る   表紙に戻る