「同労者」第25号(2001年10月)                          目次に戻る

祈りの小部屋

− 旧約聖書の記事、アマレクとの戦いに学ぶ −

 ・・さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。モーセはヨシュアに言った。「私
たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持っ
て、丘の頂に立ちます。」ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとア
ロンとフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を
降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モー
セはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの
手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。
 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。主はモーセに仰せられた。「このことを
記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の
下から完全に消し去ってしまう。」モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、それは
『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。・・(出エジ
プト記17:8〜16)


 この場面には実際に戦闘をしていたヨシュアとイスラエルの兵士達と、山の頂で祈っていたモ
ーセと従者たちがいます。
 この記事は私たちが福音の働きをさせていただく折りの、祈りと行動の関係を示しています。
 伝道の場面において、求道者に接するには勿論技量というものを必要とするでしょうが、救
われたてで幼稚な信仰の段階にあっても、救いの喜びに押し出されて伝道するなら、働きがで
きるものです。
 まず戦う側に立った例です。
 事例1:私にもこんなことがありました。小学校、中学校とも同級生であった友人が仙台にや
ってきて農業短大に入学したので早速教会にさそいました。彼は2回伝道会に出席しました
が、その2回目のとき明らかに認罪を持ったことが分かりました。その瞬間こそ彼を救うチャン
スでしたが、しかし福音が必要であると分かったでしょう、と云って彼を帰してしまい、そのチャ
ンスを逸しました。彼はその後決して教会にはやってきませんでした。
 事例2:高校生の時一緒に教会に行っていた学校の後輩が、私の下宿をたずねてきたこと
がありました。彼の信仰を問いただしてみると、彼はかつての私同様洗礼を受けていました
が、救われていませんでした。それで自分の救われた証詞をし、あなたも救われるようにと一
緒に祈りました。彼は心に知っているかぎりすべての罪を私の前で神に告白し、キリストの贖
いを信じました。そして「罪を赦していただいたということは、なんと素晴らしいことでしょう。心
が軽くなりました。」といって、やって来たときとは変わって輝いた顔をして帰って行きました。そ
のとき私は彼に教会を変えることを勧めるべきでした。彼の所属している教会には、救いの経
験をしている人はおりません。ですから数ヶ月後に彼にあったとき、彼の救いは覆されてしまっ
ていました。彼の教会の人々が、よってたかって救いの経験に疑問を述べたため彼は分から
なくなってしまったのでした。
 以上のように努力はしましたが、直接の働きには不成功のケースがほとんどでした。
 また祈り手の役目をさせて頂いた事例もあります。
 事例3:家内の母は天に召されるその日の朝救われました。 肝臓癌で国立仙台病院に入院
していて、もう家に戻ることはない事は承知していましたが、私たちは彼女が今日明日にも亡く
なる状態であるとは思っておりませんでした。
 前の夜家内は先に休みましたが、私は用事があって起きていました。十二時前後位からで
あったでしょうか。私は義母のための祈りに導かれました。私から祈ろうと決めたのではなく、
祈りの思いがわき起こってきて止まらなかったのです。私たちはしばしば当面している課題の
あれこれをたくさん取り上げて祈るものですが、その祈りに他の事は全くでてきませんで、ただ
ただ彼女の救いのための祈りがとまりませんでした。一時間くらいであったかと思いますが、祈
ることができました。
 義母はその朝見た夢の話から家内に導びかれて救われました。そして山本光明先生が祈っ
て下さり洗礼を授けてくださいました。
 このようにして、神は家内が"母をどうしても救って頂きたい"と願った願いを聞き届けて下さ
ったと思っています。
 成功ある働きの背後に、必ず祈りがあります。神は、アマレクとの戦いは祈りによる勝利であ
ることを「ヨシュアに告げよ」と命じられたのに違いありません。
(文責:野澤)



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